岩塊の上に建てた家は壊れない

 家の土台がしっかりしている家は丈夫な家。家の土台がしっかりしていない家はもろい家。丈夫な家ともろい家のどちらに住みたいかといえば、丈夫な家に住みたいですよね。

 イエスは、たとえ話を多く話されましたが、岩塊の上に家を建てるならば壊れないという話をされました。岩塊とは何でしょうか。それは、イエスが話した言葉のことです。

それゆえ、わたしのこれらの言葉を聞いてそれを行う者はみな、思慮深い人に例えられるでしょう。それは岩塊の上に家を建てた人です。
(新世界訳聖書 マタイによる書7章12節)

 イエスが語られた言葉はすなわち、エホバの言葉です。イエスの言葉すべては、エホバがイエスをもちいて語られた言葉です。イエスはたとえ話が上手な方ですが、その言葉の源はエホバにあります。

 僕たちは、生活の中でさまざまな選択をしなければなりません。毎日を生きるだけでも決定の連続です。何かを行わないでよい日はないのではないでしょうか。

 日々の決定や行動はどうすれば、良い実を結ぶでしょうか。それは、神の言葉をたよりにすることによってです。聖書に書かれた神の言葉を基準にして物事を行っていけば、最善の選択を行うことができると確信することができます。

 たとえば、友達に不満を抱いてしまった場合はどうでしょうか。神の言葉がなければ、その感情をそのままにしておいて、人間関係は悪くなっていってしまうかもしれません。

 神の言葉があれば、自分にも非があるのだと考えて、エホバが愛を持ってみるように、その人のことを気遣うことができるかもしれません。

 神の言葉に自分を照らせば、必ずよい道をすすむことができます。「これが道である。この道をすすめ」といわれた道を、よく注意してすすんでいきたいものです。

 イエスの言葉をしっかりと心の土台に据えれば、ちょっとした困難くらいでは、倒れません。イエスの言葉が土台にあれば、たとえ倒れても「何度でも立ち直ります」。

 反対にイエスの言葉と反対のことをしてしまっていたら、倒れたときにエホバはしばらくの間はなれてしまうかもしれません。イエスの言葉を行えば、み子を愛するエホバは、僕たちをも愛して、手を差し伸べてくれます。