まっすぐ立っていると思わないようにする

 自分は大丈夫だと思っているときに、急に転ぶということがある。大丈夫、大丈夫と思っているときに、不意に失敗したりする。

立っていると思う人は,倒れることがないように気をつけなさい。
(新世界訳聖書 コリント人への第一の手紙10章12節)

 特に自分自身のことを妄信しているときは、他の人に対して自分が正しいと思って接してしまうことがある。

 時代はだんだんと変わっていくのに、昔の巡回監督の言葉をそのまま会衆に当てはめてしまうということもある。エホバの義の基準は変わらないけれど、組織は少しづつ時代に応じて変わっていく。多くの人に宣べ伝えるために、また時代の中でよい判断をするために、組織は少しづつ変化していかなければならないんだ。

 エホバの証人は硬直的な組織じゃないから、いつでも出版物や聖書に照らして、生活の仕方について考える。思い込みで話しているときには、よく失敗する。

 自分の培った良心と聖書に照らして助言しないといけないのに、自分の職場での経験をもとに助言しそうになることがある。

 巡回監督からの助言を話すときでも、聖書からその裏づけを示すというのが、一番大切。そうじゃないと、伝言ゲームみたいになって、ぜんぜん意図したことと違うことになることがある。いつでも聖書、いつでも神の言葉から励ますことができるようにしたい。

 黙想することは、人間の伝統や文化に根ざした偏見を知らない間に培っていないだろうかということ。いつでも聖書に照らして、エホバの考えはどのようなものだろうかと考えるようにする。

 イエスは弟子にこんな小言を言うだろうか? イエスは弟子がミスしたときにどのように接しただろうか? イエスは自分の立場を誇示するために聖書の言葉を利用しただろうか? イエスはどんな風に行動するかなぁということを思い巡らすと、失敗は少なくなると思う。