「わたしたちは何の役にも立たない奴隷です」といいなさい
イエスは弟子たちから主と呼ばれていました。また師とか、先生とも呼ばれていました。そして、弟子たちがそのように呼ぶことは正しいことだとも言われました。まさにイエスはそのような人だったからです。
けれどもイエスは自分が地上に来たのは、自分が仕えてもらうためというよりも、むしろ仕えるためだともいわれました。人に仕えて、多くの人のための贖いとして自分を差し出すためにイエスはこられたのでした。
イエスは神の子で主と呼ばれるにふさわしい方でしたが、人の子として奴隷のような様になって仕えました。そのように最も卑しめられたものとして使えた結果、エホバはイエスを復活させ天の天まで高めます。
イエスはある意味で奴隷として使えました。自分を他の兄弟・姉妹の上に高めたりはせず、いつでも神を高めました。
イエスは弟子たちに次のようなことを言われます。
ですからあなた方も,自分に割り当てられた事を全部したときには,『わたしたちは何の役にも立たない奴隷です。わたしたちのしたことは,当然すべきことでした』と言いなさい」。
(新世界訳聖書 ルカによる書17章10節)
そうです、人からの賞賛はそれほど大切なものではなかったのです。その反対に自分を低めるなら、神が高めてくださるということを知っておられました。イエスは、その生涯、喜びをもって父エホバに仕えました。
そうです、これは今の時代にも適用できます。イエスの弟子であると自覚している人は、他の兄弟姉妹の上に自分を高めたりはしません。ある立場のゆえに、ある権威を持っていたとしても、その権威を自分を高るためにもちいたりはしません。
イエスの到来のときに、不精な奴隷よといわれることは、とても恥ずかしいことだからです。