キリスト教に興味があってインターネットで調べている方へ 第5回 イエス・キリスト
日本人ならだれもがイエス・キリストという名前については知っていると思います。でも、実際どんなことをした人かということについては知らないんじゃないでしょうか。
織田信長とか、豊臣秀吉とか、徳川家康ならば、名前だけじゃなくて、どんなことをした人なのかを、なんとなく知っていますね。テレビや雑誌などでもたびたび取り上げられますしね。
でもイエス・キリストについていえば、きっとほんとうに名前しか知らないんじゃないでしょうか。
名前はイエスです。キリストっていうのは名前じゃないんですね。キリストというのは、聖書では油注がれた者という意味があって、特別な地位にあるということを意味しています。
イエスは聖書では神の子と呼ばれています。イエスは神の子、創造者であるエホバに最初に創造された子です。最初にイエスが創造された後は、エホバとイエスは共同して働き、創造の業を行います。
イエスはこのとき天で父であるエホバとともに働き、エホバの力による創造の業を見ていたというわけです。
大切なことは、エホバとイエスは別々だということですね。もちろんそのことをイエスは知っていますし、いつでも神を高めて自分を低めることをします。自分を神のようにみなしたりしませんし、自分が高く上げられるなら、それはエホバによるものであることを自覚しています。
イエスはたとえの中で、「わたしの父は耕作者です、わたしはぶどうの木です」というたとえを語られます。つまり、父であるエホバが、イエスを育んでいるということですね。
エホバが命の源であることを知っているので、そこから離れては命を得られないということを弟子たちに伝えます。そして、「わたしが父と結ばれているように、あなたがたもわたしと結ばれていなさい」といわれます。イエスを通してエホバと結ばれているようにということですね。
だから、イエスはいつでもご自分を神と人間の間の仲介者として意識しているので、神と同じであるということをまったく意識していません。
でもカトリックやプロテスタントのクリスチャンというのは、イエスが神であるといいます。「エホバとイエスと聖霊の3つは同一で異なる」という不可解な三位一体の理論を信仰しています。
だれも理解することができないから、神秘的なもののようにしてとても大切にしているのですが、聖書の中には、その根拠はどこにも見いだせないんです。
イエスがたとえ神と呼ばれるときがあっても、それは創造者であるエホバとはまったく別です。もちろんイエスの弟子たちは全員知っています。
続く。