キリスト教に興味があってインターネットで調べている方へ 第7回 贖いによって死からの救出が可能になる

 贖いという言葉を聞いたことがありますか。実は最初聖書を勉強すると、これを理解するのにとても時間がかかります。贖いという言葉には、字義的には「覆う」という意味があります。

 目でものが見えていても、それに覆いをかけると見えなくなります。それで、贖いという言葉には、字義的には、何かを覆って見えない状態にするという意味があります。

 何を覆うのでしょうか。それはです。

 永遠の命のためには、何が必要でしょうか。エホバは、正直な方なので、大きな罪に対しては死を宣言されます。悪を行うなら罰を、善を行うなら祝福を与えるかたです。

 さて、死はどこから入ってきたのでしょうか。それは、アダムとエバが犯した罪の結果、人間の中に死が入り込んできました。アダムが犯した罪は、比類のないくらいに大きなもので、その罪の結果は、子孫すべてを死に至らすという残酷なものでした。

 神はアダムに善悪の木の実を食べたら必ず死ぬといったのに、アダムは食べてエホバに対して罪を犯しました。その結果、全人類に罪が受け継がれました。それで、すべての人は例外なく、死んで生きます。

 知らないで生まれてきた、僕たちに責任はないと思うかもしれません。そうです、エホバも実は同じように考えておられます。罪の結果は3代、4代、そしてすべての子孫に受け継がれるといっても、責任のない後代の人を神は憐れまずにはいられませんでした。

 そして、アダムが罪を犯した、すぐあとに、エホバ神は、人類を死から救出されるための手段をもうけられました。人間の罪の覆って、エホバからは罪が見えなくなるような、そんな手段をもうけられたのです。

 それが、イエス・キリストの贖いです。エホバからは、イエス・キリストの贖いの犠牲を通して、人類をみれば、その罪は見えなくなります。つまり、僕たちひとりひとりは罪人ですが、イエス・キリストの贖いの犠牲によって、罪は覆われるので、義とみなされます。

 人はアダムの罪を受け継いでいるので罪人ですが、贖いへの信仰によって、罪はエホバの目からは覆われるので、その結果、義とみなされます。

 義人であるならば、その最後は命です。ではイエスはどのように贖いをそなえたのでしょうか。

 続く。

前へ 目次 次へ