キリスト教に興味があってインターネットで調べている方へ 第11回 神は僕たちが義を行うことを求めておられる

 イエス・キリストは、エホバの言葉を語って「神の義を第一に求めなさい」といわれました。エホバ神は、僕たち人間に神の義を求めることをすすめておられます。

 僕たちは日本人として生まれて生活していますけれど、正しいことと正しくないことの基準はどこにあると思いますか。たとえば、法律を守っていればよい、人に迷惑をかけなければよい、みんなと同じようにやっていれば安心、そんな観点で善悪を見ているのかもしれません。

 でも僕はもう少しすすんで、善悪の基準にもう少し敏感になってほしいと思っています。何が良いことなんだろうか、何が悪いことなんだろうかということを考えてみるということです。

 たとえば、僕たちは愛情を示されるとうれしくなりますね。優しくされるとうれしい。これはどうしてかな。不思議ですね。その答えは聖書に載っています。神がそのように人を造られたんです。

 僕たちはうれしいと笑います。遊ぶと楽しいね。音楽や絵などの芸術を楽しむことができます。旅行にいってきれいな景色を見て、感動します。これはどうしてかな。不思議ですね。その答えも聖書にのっていて、神は僕たちが神からの創造物で楽しむことを望んでおられるんです。

 そして親切な神は、もう少し僕たち人間に、善悪の基準についても考えてほしいと思っておられるんだ。

 つまり、何が正しいことだろうか、何が悪いことだろうか。どこに良いことと悪いことの本当の基準があるんだろうか。国によって異なるし、文化によってことなるし、状況にもよって異なる。そんな風に善悪の基準というのはあいまいなものだろうか。

 聖書はね、その基準は神が決めるものだということを教えています。聖書はね、神が愛するものを愛して、神が憎むものを憎むように、それが、人にとって最善の行き方だということを教えています。

 つまり、聖書を調べれば、善いことと悪いことがどんなことかを調べることができるんだ。エホバは主権者だから、神の義に従い守ることが、必要なんだ。

 それを守って、その上で、生活を楽しむことをエホバは望んでおられる。それで、イエスは神の義を第一に求めなさいといったんだね。

 自分のやりたいことをもちろんしてもいいし、自分のやりたいことを求めてもいい、でも、第一に求める必要があるのは神の義なんだ。ぶつかるときは、神の義を選択しなくちゃいけない。

 神の義を行う人は、エホバから祝福をえる。最後には、本来アダムとエバが備えていた、完全な命をもらうことができる。

 エホバは神の義を行う人を愛されるんだ。

 では、具体的にはどんな生き方が神に喜ばれるんだろう。

 続く。

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