キリスト教に興味があってインターネットで調べている方へ 第13回 神は泥酔と浮かれ騒ぎを憎まれる

 神が憎まれることシリーズ。その壱は、淫行と離婚でした。さて次は、泥酔と浮かれ騒ぎです。

 エホバの証人の多くの方は、家庭やみんなで食事をするときに、お酒を楽しんでいます。もちろん、飲まないからといって、非難されるということはないですし、飲むからといって非難されることもないです。

 その決定は、完全に個人に属します。お酒を楽しみたい人は適度に飲めばよいですし、アルコールに弱い人、日本人には多いと思いますが、飲まなくてもいいんです。人にあおられて飲む必要もないです。聖書に訓練された良心による自由な決定。とても良いことです。

 イエス・キリストも、みなで食事をしたときに弟子たちと、お酒を楽しまれました。酒飲みと非難されることがありましたが、お酒を楽しむということは、神の目からみてなんら非とすべきではないことを、イエスは知っておられました。

 けれども、飲みすぎについてはどうでしょうか。それは、聖書でははっきりと非とされています。つまり罪です。良くないことです。

 エホバは、泥酔を憎まれます。聖書には、神に献身した人で、大酒飲みと呼ばれる人とは、共に食事をすることさえしないようにと書かれています。

 お酒を飲む場所には、浮かれ騒ぎはつきものですが、神は浮かれ騒ぎを憎まれます。酔って暴れたり、大きな声を出したり、お店に迷惑をかけたり、罵倒するような言葉を使ったりするのはよくないことです。

 周囲の雰囲気に流されて、悪いなぁとは思っていても、ついついそのような場所に参加してしまうという状況が、日本では生まれやすいかもしれませんね。

 でも聖書には、それははっきりと悪いことですと書かれているので、後ろめたい気持ちになったりせず、自分に自身がもてますね。

 でも僕たちエホバの証人は、つまらない存在じゃないんだ。酒に酔って騒いだり、浮かれ騒ぎをしなくても、十分楽しめるということを知っている人たちです。

 冗談を言わないとか、堅苦しいとか、まじめで近寄りがたいとか、そんなイメージを抱いてほしくない。洗脳されているとか、マインドコントロールされているとか、心が弱いとか、だまされやすいとか、そんなイメージを抱いてほしくない。

 僕たちは、楽しむことは好きだけれど、神の義が一番大切なんだ。だから、神が憎まれないことで、楽しみたいと思っています。神が愛されることを行うなら、神と共に、喜ぶことができる。だれも傷つけない。

 さて、神が憎まれることには他にどんなことがあるでしょうか。

 続く。

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