キリスト教に興味があってインターネットで調べている方へ 第15回 神は盗みと殺人を憎まれる
神が憎むものにはどのようなものあるでしょうか。それは盗みと殺人です。人の物を盗むことは悪いことです。人を殺すことは悪いことです。
それは当たり前のことなんじゃないのと思う方もいるかもしれませんし、それは状況によるのではないかという方もいるかもしれません。
でも当たり前とか常識というのは、どういうことなのだろうかということを、一度考えてほしいと思っています。当たり前とか常識というのは、一歩違う文化に踏み出してみれば、常識ではなくなったりしますね。
時代が変われば、たとえば戦争のときなんかは、人を殺すことが正当化されたり、奪うことが正当化されたりしますね。
でも心の正直な人は、いったいどこに基準があるんだろうかと考えると思います。いったい誰が基準を決めるのだろうかと考えると思います。
僕たち人間は、善悪を判断する能力を生まれながらに持っています。人はだれでも、何かを基準にして、これは善いこと、これは悪いことと判断します。基準は法律でしょうか。法律がなければ、善悪はないのでしょうか。そんなことはありません。
僕たちが生まれながらに、善と悪を判断する能力が備えられているのは、人間がそのように造られているからです。人は神に似せて造られました。
そして、その基準をお定めになる方は、実は人ではなくて、神です。基準を決める権利を持っているのは、人ではなくて神なんです。今まで知らなかったでしょう。
だから間違ったことをしないで生きたいと望む人は、聖書を調べてみることをおすすめしています。そこには、神が憎まれることと愛されることについてのたくさんの記述があります。
盗みの誘惑というのは、発生しやすいものだと思います。少しならいいとか、仲間はずれにされたくないからとか、からかわれたくないからとか、強がってみせるとか、そんな誘惑に駆られて、盗みを行う場面も、少なくないんじゃないかなぁと思います。
でも、聖書の基準を知っていれば、盗みは良くないと自信を持っていえるので、そのような誘惑に打ち勝てます。聖書は窮屈な教えではなくて、良心を守ってくれるとても良い書物です。