キリスト教に興味があってインターネットで調べている方へ 第18回 聖書の希望「パラダイス」

 パラダイスというのは、楽園のことです。最初の人間アダムとエバは、罪を犯したために、楽園を追放されてしまいました。また罪のために地は汚れてしまいましたし、地球は本来の状態を保っていません。

 聖書には、楽園の回復の記述が預言書の中でたびたび取り上げられます。あるキリスト教の方は、エホバの証人が伝えている楽園の記述は聖書の中にはない、エホバの証人の独特の解釈だという方もいますが、実際にその記述は聖書にはあります。

 まず啓示の書という最後に書かれる書物には、「新しい地」という言葉があります。つまり、この表現によって、地上に住む人がいるということが理解できます。

 また聖書の中には、「柔和な人は地を所有する」ですとか、「地には義が宿る」ですとか、「地は永久に存続する」という表現がでてきます。つまり、神の約束は、この地球上で果たされるということがわかります。

 そうなんです。実は、聖書というのは心の中の問題を解決するための書物ではなくって、神が実際に地を良い状態に回復させるという約束を書いた書物になっています。

 宗教は心の問題を解決するためのものだという人もいます。でも、聖書は心の問題だけを扱った書物ではありません。むしろ現実的な神の約束を信頼できるので、それによって喜ぶことができ、現実の困難を乗り越える力が与えられるような本です。

 たとえば、地球のある地域には、人間の間の紛争によって地雷がたくさん埋め込まれてしまいました。その地域に住んでいるとしたら、宗教によって心の問題を解決したいでしょうか、それとも、地雷が取り除かれるような現実的な解決を望むでしょうか。

 聖書の約束はこれににていて、実際に、地が破滅に至る前に、神の介入があって、地が回復させられるという預言があります。

 その世界では、怖かった動物はもう怖いものではなくなります。また食料も豊富にあります。食料を生み出さない砂漠地域においても、水があふれ出し食物を生み出します。

 そのような、楽園の回復の約束の記述が、聖書を調べると実際に書かれていることがわかります。

 楽園という言葉において、エホバの証人は聖書にない物語を語っているわけではないです。エホバの証人の聖書解釈は、おとぎばなしのようだといわれるかもしれませんが、それはおとぎばなしではなくって、聖書に実際に書かれていることです。

 たとえば、イザヤ書という書物には、楽園の記述があります。イエス・キリストも死なれる前に、隣にいた罪人に「あなたはわたしと共にパラダイスにいるでしょう」といわれました。

 復活が起こって、地がパラダイスに変わるという聖書の預言をイエスは知っていたので、このようなことを言ったのだと思われます。

 それで僕たちにはパラダイスに住むという希望があります。パラダイスに住んでみたいと思われませんか。

 次回の希望は「神の王国」です。

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