エホバの証人はビジネスマンやホテルマンではないということ

 僕らの持っている本来的な服装の指針は、住んでいる地域社会で不自然ではなく、かつ、だらしがなくない格好というものだ。間違ってもビジネスマンやホテルマンの服装が基準になるわけじゃない。またエホバの証人独特の伝統に固執するというわけでもない。地域社会で受け入れられる服装をする。これが本来の指針だ。

 もしエホバの証人の独特の伝統に固執するとすると、時代が移り変わっていったときに、その格好は非常に不自然な格好として、地域の人に映っちゃうことになる。そして、聖書に根拠がないことについて、無理やりこじつけて聖書から推論するような間違いを犯してしまうことにもなってしまう。

 一つ目に、その地域で、男性や女性にどのような格好が許容されているかということを良く考えることは大切なことだ。会衆内の伝統だけじゃなくって、地域社会の伝統を考慮する必要がある。ビジネスマンやホテルマンの伝統ではなくて、地域社会の伝統だ。エホバの証人の伝統ではなくって、地域社会の伝統。

 地域社会には、服装の基準に対して非常に厳しい見方をする人もいれば、服装に関して非常に緩やかな見方をする人もいるということを考慮にいれることは大切なことで、これを忘れると、自分がよい信じる画一的な服装を強制するような結果になってしまうことがある。

 またベテルの兄弟がしているような服装をしていれば、それで何も言われないだろうと考えて、それを他の人に押し付けてしまうかもしれない。エホバとの関係ではなくて、他の人の良心で決定するような見方を会衆の中に広げてしまうかもしれない。

 それは良心の選択ですと演壇で教えているのに、自分の基準とずれていると、呼び出して注意をするという、聖書的には良くない選択をしてしまうかもしれない。

 結果的にエホバの崇拝とはまったく関係のないことで、ぎくしゃくするという悪い結果になっちゃうかもしれないね。

 どうか長老の皆さん、今までの伝統に固執するのではなくて、地域社会は今どのような服装を受け入れているのだろうかとうことを、考えてみるのはよいことだと思いますよ。それを踏まえたうえで、慎みがあって、節度ある服装はどんなだろうかと考えてみるのがいいんじゃないかなぁ。