パンとぶどう酒 第2回「無酵母パンの意味」
イエスは、弟子たちとの最後の食事のときに、パンをさいて弟子たちに与えこういいました。
「これは,あなた方のために与えられるわたしの体を表わしています。
(新世界訳聖書 ルカによる書22章19節)
イエスが与えたパンは、酵母(イースト菌)が含まれていないパンです。酵母が含まれていれば、パンは膨らみますが、含まれていないとパンは膨らみません。
最後の食事のときに弟子たち与えられたパンは、無酵母パンで、これは罪のないイエスの体を表しています。
イエスは、わたしの肉を食べ、わたしの血を取り入れることが永遠の命を意味していますといいました。つまり、無酵母パンを食べることによって、「イエスが罪のないご自分の体を、罪のための贖いとして人類のために差し出した」ということを象徴的に思い起こすことになります。
イエスの贖いの犠牲というのは、アダムが罪を犯したための、代価を神に支払うという意味があります。アダムの命が罪のない完全なものであったため、イエスが支払う代価も罪のない完全なものである必要がありました。
罪のない完全な命というのは神の目から見て、とても貴重なものです。エホバ神は、ご自分の愛の表れとして、ご自分の最愛の子であるイエスを、人類に対して差しだしました。これによって、再び人間は、死をもたらすことのない命を得る機会が開かれました。
ですから僕たちは、記念式のときに、こんなことを思い起こしてみることができます。無酵母パンはイエスの罪のない体を表しているということや、罪のないイエスの体は、エホバの目からみてとても貴重なものであるということです。
自分自身の罪ある体についても思い巡らすことができます。人類の始祖が犯してしまった罪や、罪を受け継いでいるための自分の弱さ、また老化や病気によっていずれは死んでしまうということです。
イエスの贖いによって、僕たちを苦しめている罪を取り除いて、罪のないとても良い命を得ることができます。そう考えれば、イエスやエホバの愛の表明に対して、心から感謝を表すことができると思います。
毎年なんとなく記念式に参加するのではなくて、無酵母パンがどのようなことを意味しているのかなぁと黙想してみると、記念式の意味が実感できて、よりよいものにすることができるのではないでしょうか。