パンとぶどう酒 第3回「無酵母パンの祭り」
パンを食べるというのは、実はイエスが突然自分で決めたことではありません。イスラエル人は、毎年過ぎ越しの祭りを行っていて、これは無酵母パンの祭りとも呼ばれます。
記念式はイエスは定められたという風に僕たちは学ぶので、ちょっと聞くだけだとイエスが起源だと思ってしまうのですれど、起源はイスラエルのお祭りにあります。
詳しい内容は過ぎ越しについて書くときに、詳しく書くので、お祭りの中で無酵母パンにかかわる部分だけを、解説してみたいと思います。
エホバはイスラエル国民を、エジプトの奴隷状態から解放したときに、次のように記念として無酵母パンの祭りを行うようにと命じました。
『そして,この日はあなた方のための記念となり,あなた方はエホバに対する祭りとしてこれを代々祝わなければならない。定めのない時に至る法令としてこれを祝うように。七日の間あなた方は無酵母パンだけを食べる。
(新世界訳聖書 出エジプト記12章14-15節)
この聖句を見ればエホバがご自分の民であるイスラエル人に、無酵母パンの祭りを、エジプトの奴隷状態から救い出した記念として行うようにと命じていることがわかりますね。
7日間の始まりは旧暦(太陰暦)の1月の14日の夕方から21日の夕方までです。
第一の月,その月の十四日,その夕方にあなた方は無酵母パンを食べ,月の二十一日,その夕方にまで及ぶ。七日の間あなた方の家に酸い練り粉があってはならない。パン種の入った物を味わう者がいれば,外人居留者であってもその地に生まれた者であっても,その魂はイスラエルの集会の中から断たれなければならないのである。
(新世界訳聖書 出エジプト記12章18-19節)
この祭りで、パンを食べたのはだれでしたか。それは「生来のイスラエル人」と「割礼を受けてユダヤ教徒に転じた外人居留者」です。その両方がパンにあずかりました。祭祀だけでなくってイスラエルの民みんながパンを食べました。
無酵母パンというのは、イースト菌が入っていないパンのことで、エホバから見て清い食べ物になっています。つまり無酵母パンというのはエホバから見て罪がない状態を象徴的に表しているのだと思われます。
無酵母パンを食べる期間に、普通のパンを食べると、エホバによって絶たれてしまい大変なことになってしまいます。でもどうしてと思うかもしれません。
祭りというのはエホバの祭りです。つまりその期間中はイスラエルの民の中にエホバがおられるということですね。そして、エホバは聖なる方ですので、近づく者も聖なるものでなければなりません。エホバは光であり、裁きの炎でもありますので、罪のある状態で近づくならば、死んでしまいます。
ですから、エホバが共におられる期間中は、ご自分の民に聖なる者であることを要求しているのだと思います。
だから僕たちも記念式を行うときは、エホバがイエスを通して僕たちを聖なるもの義なるものとみなしてくださったということを思い起こせるのではないかと思います。ですから、信仰をを働かせて、罪のないパンであるイエスを象徴的に取りいれることが、必要です。
エホバは、わたしは聖なる者である、あなた方も聖なる者でなければならないといわれます。罪のないパンであるイエスを象徴的に取りいれることで、エホバは僕たちを聖なる者とみなしてくださり、エホバは僕たちと共におられ、僕たちの中にいてくださることができます。