淫行を習わしにする人は自分の体に対して罪をおかしている

 人の物を盗むことは悪いことだとだいたいの人はわかると思います。人を殺すことが悪いということもだいたいの人はわかると思います。

 でも淫行については、悪くはないと思っている人は大勢いると思います。淫行というのは聖書では結婚外の性関係を指しています。結婚している夫婦の一方が他の人とセックスをしたり、結婚をしていない男女がセックスすることを指します。

 多くの人はこんな推論をすると思います。「どうして愛し合う二人が気持ちよくなることが悪いことなのか。誰にも迷惑をかけていない。」

 そうです。その意見は最もな意見で、間違ったところはありません。淫行というのは、実はだれかに対して犯す罪ではないからです。誰かに迷惑をかけるという種類のものではないです。

 聖書自体は淫行について、こんな風に解説しています。

人が犯すほかの罪はすべてその体の外にありますが,淫行を習わしにする人は自分の体に対して罪をおかしているのです。
(新世界訳聖書 コリント人への第一の手紙6章18節)

 淫行を犯すということは自分の体に対して罪を犯していると、聖書は述べています。神を知っている人は、自分の体が、神の霊的な神殿の一部であるということも理解しています。

 ということは、この体は神から授かったものです。皆さんが生きている命は、神から授かったものです。それで、自分の体や命というのは、自分のもののように見えて、自分だけのものではありません。

 淫行という罪を犯して神からの賜物である、体を汚すことは神は望んでおられません。淫行を犯すということは、罪を犯して自分の体を汚すのです。神からのものを汚すならば、神はその人の命をも共に滅ぼすでしょう。ですから、淫行は避けましょう。

 セックスが汚れているのではなくって、結婚外のセックスが人を汚します。夫婦の間のセックスは清いものです。夫が妻に性的なものを与え、妻が夫に性的なものを与えることはエホバが定めたことだからです。その関係自体は、神が創造されたもので、良いものです。

 でも神の義を破って、淫行を犯してまで、セックスを楽しみたいと思っちゃいけません。それは罪です。結婚して夫婦として楽しむ道を歩んでいくのがよいことです。