特権への愛が兄弟・姉妹を重く重く縛っているということ

 エホバの証人という社会の中で、人間関係を重くしている最も大きな原因のひとつは「特権への愛」です。多くの兄弟・姉妹たちが「特権への愛」のために、大切なものを忘れている気がします。

 「特権への愛」はとても危険です。ですから、ぜひとも僕は、特権と呼ばれているものが、なくなったらと思っています。エホバの証人の兄弟たちは、特権を目指して励みます。また特権を目指して励むようにと指導されます。

 若者たちは、受験競争ならぬ、特権競走を長老や巡回監督によって走らされます。走りきることができなかった人は、二流の人、落ちこぼれた人、すべり落ちた人です。一度落ちたらなかなか這い上がってくることはできません。落ちこぼれた人は、姉妹たちからの評判が落ち、特権を勝ち取った兄弟は、羨望のまなざしで見られます。

 霊的に優れていることは、健康で活動的で、長老という特権を勝ち取ったことと強く結びついています。「若くして長老になり、きれいな妻をもらった兄弟は勝ち組。そうでなければ、負け組み。」このような価値観が存在しています。もちろん心に思っていることは、口には出しません。

 僕は誇張しているのでしょうか。少し誇張しています。でもそれほど外れてはいません。人間的な、かなり人間的な価値観が裏側にははびこっています。

 十年か二十年ほど前、日本は受験戦争と呼ばれたくらいに、進学熱が高まりました。親たちは必死に子どもによい教育を受けさせるために、子どもたちに勉強をさせました。そして、エホバの証人の親たちも同じです。受験戦争に巻き込ませる代わりに、子どもたちを特権競走へと参加させました。

 特権を得るためのテクニックは、自分より立場が上の人に対して、従順であることでした。決して自分の意見をいわず「いわれたことをはいはいとやることが大切」という価値観を、刷り込みました。「いわれたことをはい」といって行わない人は、特権競走から取り残されました。「自分のいうことを聞かないと特権を与えないぞ」という圧力がありました。

 少しでも反抗すると、もう特権を与えてはもらえないのです。特権を得た後は、次は特権を削除される恐怖と戦う必要がありました。自分より立場の上の人たちは、自分より立場の低い人は特権を削除する権利を持っています。「俺のいうことを聞かないと削除するぞ!」という圧力がありました。

 特権というのは、実はたいしたことがないものです。でも当時、多くの兄弟たちは、この特権がなければ自分は生きていけないと本気で考えていました。「特権を削除されるのが怖い」「あれをしたら特権を削除される」「削除されたら恥ずかしい。みじめだ」「もうここでは生きてはいけない。」「エホバの証人としてやっていくためには受け入れるしかない」「姉妹たちからも恋愛対象としてみてもらえなくなるだろう」

 その結果、多くの兄弟たちが倒れました。僕は誇張しているのでしょうか。いいえ、それほど外れてはいません。

 今でも、特権への愛は、多くの兄弟・姉妹の心を縛っています。神への愛のためではなくて、特権への愛のために、ひざをかがめます。特権の内にいられないことは、ひどく辛いことです。

 統治体の兄弟たち。よく聞いてください。あなたがたは「特権というアメ」と「削除というムチ」によって、兄弟・姉妹たちをコントロールしてきました。ビスマルクは、アメとムチによって人をコントロールする方法について書き記しましたが、あなたがたは、神の方法というよりも、人間の方法で、兄弟・姉妹たちをコントロールしようとしています。神の支配ではなくて、統治体のマニュアルによる支配をよしとしています。

 統治体の兄弟たち、自分たちの作ったマニュアルにそって、兄弟たちを形作るのをやめてください。服装や髪型、話しの仕方や、発音の仕方、振る舞いや笑い方、歩き方や、行動の仕方まで、さまざまな手段で兄弟たちを改造するのはやめましょう。そして、自分たちのマニュアルにそって兄弟たちを変化させているのに、「エホバに形作っていただいている」といって、神が行ったように語るのはやめましょう。またあなたがたが好む服装や振る舞いや態度を「円熟」と言うのはやめましょう。

 特権という言葉は乱用されてきました。そして特権への愛によって、多くの兄弟・姉妹が神の愛を忘れ、また倒れてきました。

 僕はひとつの点だけ指摘しておきます。聖書では、特権という言葉は「イエス・キリストに対する信仰を持っていること」に対して用いられています。パウロが述べた趣旨は、この「イエスと共に苦しむ特権」に比べれば、これ以外の特権と呼ばれているものはすべて屑のようだということです。

 兄弟・姉妹たち、人間(統治体)が与える特権ではなくて、イエスが与える永遠の命を目指して歩んでいきませんか。永遠の命を得られる特権に比べれば、今ある特権はゴミのようなものではないでしょうか。だから、それを失うことに何の怖れもないのです。