わたしは羊の戸口です。わたしに代わって来た者はみな強奪者です。

 イエスは立派な羊飼いです。立派な羊飼いは、羊のために命を投げ打ちます。雇われた人は、狼がくると、羊を置いて逃げていってしまいます。イエスは、羊たちを知り、羊たちもイエスを知っています。

 ですから、戸口にはイエスを通って入る必要があります。イエスという戸口以外から入ってくる者はみな強奪者です。

きわめて真実にあなた方に言いますが,わたしは羊の戸口です。わたしに代わって来た者はみな盗人であり,強奪者です。
(新世界訳聖書 ヨハネによる書10章7節)

 ここでイエスは、自らが人と神との間の唯一の仲介者であるということを、比喩的に語っています。イエスだけが真理であり、命であり、道です。父のもとへたどり着くための唯一の経路です。第二、第三の戸口を語る人は、みな強奪者です。

 イエスだけが唯一の経路であり、第二、第三の経路を主張する人は、神から見れば、強奪者、盗人です。僕たちもぜひ命の道に至るためには、イエス・キリストという戸口を通って入る必要があることを認識しましょう。

 イエス・キリストは現在どこにおられると思いますか。皆さんが知っているとおり天におられます。天から聖霊を用いて、ひとりひとりのクリスチャンを導いておられます。

 ですから、見えるものによってではなくて、見えないものによって歩む必要があります。見えるものは形を失いますが、見えないものは永遠です。「見える地上の何か」によって歩むのではなくて、いつでも聖霊を祈り求めて、見えないものによって歩みましょう。