排斥は罪を犯した人を全員で無視するということを意味している

 現在の統治体とものみの塔協会が定める指示によると、排斥された人に対しては、徹底的に無視をすることが求められています。

排斥とはその人を徹底的に無視することを意味する

 どうしてこのように、徹底的な無視という状況が必要なのでしょうか。これを変だと思っている兄弟・姉妹も多いと思います。

 統治体は、排斥とは愛のある制度であって、徹底的に無視することは、あなたの神への忠節が試されると説明します。けれども、これはまったく反対であって、完全に統治体の都合なのです。この見解は、統治体の都合によるものなのに、それを正当化するために、個人と神との関係にすり替えているのです。

 実は徹底的に無視する必要があるのは、統治体の都合で、統治体が背教者と認定して排斥した人と、会衆の兄弟・姉妹が、コミュニケーションを取れなくするためだと思われます。異分子を排除することで、統治体の支配が揺るがないための対策です。

 この徹底的に無視という方針は、背教者の文書を見ないように、背教者のサイトを見ないように、コメントを書かないようにという対策とセットになっていて、統治体が提示する価値観に絶対的に従わせるための仕組みになっています。

 テレビやインターネットはサタンの罠、エホバの証人以外の子どもたちとは遊ばせない、他の文書を調べてはいけない、統治体の見解が間違っていたとしても支持するように、正しいことは統治体からくる、聖霊に任命(実際は巡回監督によって任命)された長老に従うように、神の取り決め(実際は統治体の取り決め)に従順でありなさい、これらさまざまなな、統治体に従わせるための考え方が、雑誌や書籍のいろいろな部分にちりばめられています。ですから、排斥された人を徹底的に無視するという方針もこの中のひとつになっています。

徹底的に無視するという方針は、聖書に由来していなくて、統治体が背教者とみなした人との接触をさせないようにするためのもの

 けれども、インターネットが、世界的に普及してきた現在、このような方針はまったく無意味なものになろうとしています。なぜなら、インターネットでエホバの証人について簡単に調べることができて、匿名で話しをすることができるからです。だれかわからない人を、排除することができません。

 表現の自由というのは、民主国家にとっては、ものすごく価値の高いものなので、それが防がれるようなことはまずないです(誹謗・中傷は除く)。エホバが相対的に定めた上位の権威が、エホバの証人のひとりひとりを助けてくれているひとつの例だと思われます。エホバ神に感謝です。

 統治体の思い通りにならない時代がやってきました。こんなときこそ、本当に聖書に立ち返る必要があるんじゃないでしょうか。