排斥された人と接触を持つとどうなるか

 僕は、いったい排斥された人と接触を持つとどうなるのだろうかということが気になっていました。インターネット上で、ブログやコメントを見ていると、そういう状況になった人もいたようです。ひとつの経験で一般化できないとは思えませんが、長老と巡回監督が、そのように振舞うとすれば、全国的な傾向であるかとも思うので記しておきます。

 まず排斥された方に話しかけた場合は、長老に「長老の決定をあなたは支持していない」と警告をだされます。そしてそのことは巡回監督に報告されるようです。そして、決定を支持していないように思えた場合は、その兄弟・姉妹を、長老や巡回は無視するようになるようです。

排斥された人に話しかけた兄弟に対しては、巡回監督と長老がその兄弟を無視するという制裁を加える

 巡回監督が行っているということは、海老名にある日本支部が口頭で出している指針で、全国的な指針なのかもしれません。

 僕個人としては、無視するという制裁は、最悪の部類に入ると考えています。もっとも愛のない行為だと思います。体罰はいけないですが、精神的制裁としての排除や無視もかなりのダメージを与えると考えます。集団で無視することは、一種のいじめとも考えられます。いじめはしてはいけないと演壇で教えている人が、一種のいじめに参加してどうするのでしょうか。

 僕たちは罪を犯した人を脱落者と考える傾向にあります。けれども、エホバに対して罪を犯さない人は、一人もおらず、僕たちひとりひとりがすでに罪人なのです。そして救いは、業によるのではなくて、イエス・キリストへの信仰によります。イエス・キリストの血だけが、僕たちを罪から清めるのです。

 自分たちを「清い側」において、罪を犯した人を「汚い側」におくのですか。そうではなくて、耳を傾けて話しを聞いて、理由を聞いて、理解してあげなければならないのではないでしょうか。その人だけに責任があるのでしょうか。それとも、接する側の僕たちにも責任があったのでしょうか。