会衆の中にもサタンの世があるということを知る
統治体とものみの塔協会は、エホバの証人の内部と外部を過度に対比させる方針をとっています。内部は素晴らしく、外部はサタンの世というふうにです。
けれども、実際には、会衆の中にも、サタンの世があります。
会衆の中にもサタンの世がある
これを自覚していなければ、盲信という罠にはまってしまって、少数の人が、辛い思いを抱えているということが見えてきません。すべての会衆が、不和や無視という問題を抱えていることに目をつむることになります。
ものみの塔協会や統治体を美しく飾るために、それらの事実はないもののようにして扱われます。しかし、その実際は、さまざまなきっかけや、タイミングで実体が明らかになります。長老たちは、会衆内で存在している問題の多くを隠しておいて、みんなが仲良くやっている風に見せるという状態になっています。
研究生のみなさん、会衆の中にも、サタンの世がありますよ。そこは安全地帯ではなくって、イエス・キリストを通した神への信仰が安全地帯です。それを、自覚した上で、バプテスマを受けてほしいと思います。
自動的にみんなが仲良くさわやかな場所ではないです。そのためには、ひとりひとりの努力が必要なはずなのに、うわべだけをよく見せようとするから、非常に多くのストレスを抱えている会衆がたくさんあります。
違う観点を持った人をはみ出させるようなことをしておいて、自分たちは正しいことをやっていると自負するような人にはならないでください。99人が楽しくやっていても、弱いひとりの人を追い込む会衆は、最悪の会衆です。組織弁護のために、弱い一人の人を追い込む会衆は最悪の会衆です。
わたしに信仰を置くこれら小さな者の一人をつまずかせるのがだれであっても,その者にとっては,ろばの回すような臼石を首にかけられて,広い大海に沈められるほうが益になります。
(新世界訳聖書 マタイによる書18章6節)
だれもが、病気になったり、怪我をしたりする可能性があります。心の病気も含まれます。また独特の癖や特徴を持っていて、社会では差別されるという経験もあるでしょう。そういう弱い一人になったときに、安心できる会衆のほうが、よっぽどよいです。弱い一人になったときに、はみ出させない会衆のほうがよっぽどよいです。
働きアリをみてください。2割のアリはよく働きます、6割のアリは普通に働きます。2割のアリはあまり働きません。そして、それでも十分、餌の運搬ができます。全員が、よく働くありでなくってもよいし、よく働くありが、賞賛されるわけでもありません。あまり働かないアリにも、意味があります。