うそつき怪物 統治体
統治体に関することを調べるたびに、統治体が、大うそつきであることが、少しづつわかってきました。もうこれは、うそつき怪物です。
統治体はうそつき怪物
真実を愛してバプテスマを受けた兄弟・姉妹のために、僕は、証の業をします。バプテスマを受けた後に、統治体のすり替えの手法によって、エホバを離れて、組織を崇拝しないために真実を書きます。
統治体への愛や、統治体への崇拝を、どうか心から捨ててください。人ではなく、エホバにより頼んでください。エホバはこのように言われました。
地の人に依り頼み,しかも肉を自分の腕とし,その心がエホバからそれて行く強健な者はのろわれる。
(新世界訳聖書 エレミヤ書12章5節)
数々のうそ
西暦前607年のエルサレルの滅び
調べてみてください。歴史家たちは、一貫して西暦前587年を指しています。すべてのキリスト教の中で、この年を主張しているのは統治体だけです。聖書からも西暦前607年を導くことはできません。統治体は不誠実にも、研究用ものみの塔の中に、何回も何回もこの年代を少しづつ刷り込んでいます。
嘘の年代を刷り込んで、それが本当のことかのようにしようとしています。どうかエホバの証人の兄弟・姉妹のみなさん、不真実な年代から、逃げ去りましょう。
1919年に統治体は任命された
なぜ、僕たちが、インターネットでこれほどまでに、年代を指摘しているのか不思議に思っておられるかもしれません。気にしなければいいじゃないと思うかもしれません。
けれども西暦前607年という年代は、1914年と1919年に関連していて、西暦前607年が間違っていれば、このふたつの年には何の意味もなくなってしまいます。つまり、1919年に統治体は任命されたという嘘が暴露されてしまいます。
ですから、今年の7月号のものみの塔研究や、地域大会で話される話は、ぜんぶうそ話です。エホバは、真実を愛される神です。偽りを愛しはしません。それで、どうか真実を愛する兄弟・姉妹のみなさん、本当のことをお調べになってください。
統治体は神の経路
西暦前607年と1919年が、うそであれば、統治体が神の経路と主張していることは、当然うそです。統治体は、今まで、うそにうそを塗り固めてきました。そして、現在うそつき怪物であることがばれてしまって、多くの人にうそを暴露されています。
聖書に書かれていることはイエスが命への唯一の道であるということです。統治体は、この真理を捻じ曲げて、自分たちを経路と言うようになっています。
神への経路は、イエス・キリストただお一人です。それで、イエスを愛する兄弟・姉妹たち、統治体がエホバへの経路という誤りから、どうか離れてください。うそつき怪物の道は、どこに続いていますか。それは、初めからの蛇、悪魔サタンです。彼は偽りの父です。
偽り者は、口では愛を語りますが、心の中は、不真実、秘密主義、権威主義、高慢、金への愛で満ちています。
命を愛する兄弟・姉妹たち、どうかうそつき怪物から離れてください。
1世紀に統治体があった
1世紀に統治体があったという事実も、よく聖書を調べてくださる皆さんのおかげで、嘘であることがわかってきました。聖書に書かれている事実は、エルサレムでの臨時の会議が、1回だけであったということです。
このような聖書の記述を、自分たちの権益のために当てはめているのが、統治体です。研究用ものみの塔には、統治体への間接的な賛美と崇拝が、たくさんちりばめられています。神と同列に並ぼうとして、権威を示す傾向が見られます。
神に並ぼうとしたのは、悪魔サタンでしたが、統治体も、神の横に並ぼうとしています。さらに悪いことに、神の権威も越えてしまいました。長老たちに、エホバよりも、自分たちを愛させるようにしてしまったからです。
責任を負わない
統治体は、助言と指導だけをして、その行動の結果の責任をまったく負うことをしてきませんでした。助言と指導をするときは「組織の取り決めに従いなさい」といって、自分の責任を問われるときは、それは「あなたの個人の信仰です。強制したことはありません」といって逃げます。
自分たちの都合のよいように組織と個人という言葉を使い分けます。長老と巡回監督もこの悪い傾向にならっていて、助言と指導はしますが、その結果生じることに対して何の責任を負うことはありません。ただいうだけで、傷つけて終わりということが、ほとんどとなっています。
「組織が、組織が」というのが口癖ですが、責められる立場になると「それは個人の信仰です。強制したことはありません」といいます。この二枚舌の豹変する態度によって、会衆の成員は苦しめられています。裸の王様である、巡回監督と長老たち、自分の言葉に気をつけてください。
どうか、うそつき怪物統治体の行いに倣わないようにしてください。
長老の助言に迷うときは、自分の信仰を貫き通しましょう。長老の決定が、後に後悔になって、自分の過去を責めるよりは、自分の決定によって、失敗したほうが、ずっとずっとましです。自分の決定の責任は自分しかおえません。
教会特権をたくみに利用する
統治体の弁護士は、裁判になると教会特権を活用します。教会特権というのは、カトリック教会と国家の関係において、国家は、教会内部のできごとに介入しないことを定めたアメリカの法律です。
それで、統治体は、エホバの証人からの訴えを提出されたときに、この教会特権をフル活用します。最悪なことに、自分たちは、カトリック教会のような特権階級をもつ組織であるということを、裁判官に向かって主張します。
これは、僕たちエホバの証人が学んでいることとまったく反対のことです。統治体は、カトリック教会を、大いなるバビロンと読んで批判しているにもかかわらず、裁判になれば、カトリック教会に与えられている教会特権を最大限に活用して、裁判に勝とうとします。
まだまだたくさんあります。けれども
実に,統治体の行なったうそはほかにも多くあるが,仮にそれが事細かに記されるとすれば,世界そのものといえども,その書かれた巻き物を収めることはできないであろうと思う。