ものみの塔協会の思想の独占は崩れる

 ものみの塔協会の最大の既得権はなんでしょうか。それは700万人以上の兄弟・姉妹に、自分たちの思想を、研究用ものみの塔や書籍、王国宣教、手紙を印刷して、配布できることです。テレビのチャンネルはいくつかあります。ものみの塔協会の手法は、良いチャンネルは自分たちだけなのだと信じこませることです。

 この方法を確立するために、ものみの塔協会はあらゆる努力を払ってきました。「唯一神の組織」という自己をブランディングする戦略、排斥という逸脱者を排除する手法、世の交わりとはエホバの証人以外の人間との交わりと思い込ませること、マスメディアは偽りを語っていると思い込ませること、会衆の長老に過度に依存させること、会衆の長老が家族や個人の問題にまで介入すること、裁き人としての特権、長老に特権を与え、会衆の兄弟・姉妹を裁かせていること。

 良い面だけを徹底的に語らせ、悪い面を見過ごさせること。特権を持つ人を過度に保護し、そうではない人は圧迫すること。ものみの塔協会の労働力として貴重な人を、過度に褒め、そうではない人を後ろめたい気持ちにさせること。背教するということの基準を買え、自分たちと異なることをいう人を排斥によって排除すること。寄付させることで、自分はエホバを崇拝しているのだと錯覚させること。

 大会や集会には無理やり圧力をかけてこさようとすること。ものみの塔を予習していない人を劣等性とみなすこと。長老に意見する人を、中傷とみなして排斥すること。インターネットでの人間関係を悪とみなすこと。インターネットでの情報は偽りであるということ。

 けれどもインターネットによって、ものみの塔協会の不利益になる情報も、兄弟・姉妹がしることができるようになりました。唯一神の組織というブランドも、たいして他の人間の組織の醜悪さと変わらないので、その主張もほとんど意味がありません。

 ものみの塔協会にとって都合の良い面は、誇張して伝えられて、都合の悪い面は、臭いふたをするようにして、隠していることもわかってきました。裁判の場所では、ものみの塔協会は、「自分たちはカトリック教会と似た組織だ」「宣教は個人的なものである」と、集会で言うこととはまったく逆のことを言うことも見えました。

 長老たちも、資格がある人がついているのではなくって、二枚舌やうそやパワーハラスメントが、各地であることがわかっていいます。聖霊など働いていなくって、たんなる組織の中間管理職として都合がいいという理由で任命されているということもわかってきました。

 「西暦607年のエルサレムの崩壊」も、ものみの塔協会の創作で、歴史的にも聖書的にも何の根拠もないことがわかっています。つまり、1914年も1919年も単なるでっちあげ、忠実で思慮深い奴隷そのものが偽りだということです。長老たち、巡回監督、もしこのブログでこの事実を知ったら、演壇で語り続けるのはもうおやめください。偽りを知りながら語ることは、罪なのです。罪を犯し続けるのは、おやめください。

 今必要なことは、長続きしないことを、いつまでも押し通すことではなくって、方向転換することだと思います。多くのことが明らかになっても、非難されないような内面を育てていくことではないでしょうか。外側を清めるのではなくって、皿の内側を清めることが急務です。