西暦前607年を取り除く

 ものみの塔協会は西暦前607年にエルサレムが滅ぼされたと主張しています。この西暦前607年にエルサレムが滅ぼされたという節は、考古学者は否定しています。ものみの塔協会は聖書から導けるようなことをいいますけれど、聖書には、そのような年代はまったく記されていません。

 実は、西暦前607年にエルサレムが滅ぼされたという主張は、ものみの塔協会の創作です。

西暦前607年にエルサレムが滅ぼされたという主張は、ものみの塔協会の創作

 実際はエルサレムが滅ぼされたのは西暦前607年ではなくって、西暦前587年です。この点については、エホバの証人研究さんの記事が詳しいです。

古代エルサレムが滅ぼされたのはいつか 第一部
古代エルサレムが滅ぼされたのはいつか 第二部

不確かなことを真実のように語らせるのは不誠実なこと

 「聖書は実際に教えていますか」という本の216pには、さらっと次のようなことが書いてあります。

では、神の支配はいつどのように「諸国民に踏みにじられる」ようになったのでしょうか。それは西暦前607年に生じました。
(聖書は実際に何を教えていますか p216)

 はっきりといいますが、これは根拠がありません。根拠がないことを、真実のように記しています。エホバの証人の兄弟・姉妹に、不確かなことを、真実のようにして語らせているのです。これは、とても不誠実なことだと思います。

 エホバの証人の兄弟・姉妹たち、これ以上、不確かなことを語って、神に対して不誠実なことを、どうか続けないでください。神に対して、真実によって歩む努めを負っているのではありませんか。もし、気づいたなら、これ以上、不確かなことを広めるのは、おやめください。

ものみの塔協会が、まったく根拠のない西暦前607年を主張し続ける理由

 エホバの証人の兄弟・姉妹の中には、こんなこと、小さなことじゃないか、そう感じる方もおられると思います。でも、ささいなことであれば、どうして不確かなことが、取り除かれないのでしょうか。

 それは西暦前607年のエルサレムの滅びが、うそであるということに気づかれてしまうと、忠実で思慮深い奴隷の権威の根拠がまったくなくなってしまうからです。統治体とものみの塔協会は、これを非常に恐れています。

 1914年にイエスが王に任命されて、1919年に忠実で思慮深い奴隷が任命されたということは、西暦前607年にエルサレムが滅びたということと、密接に結びついています。エルサレムの滅びを正しい西暦前587年という年にするとすれば、1914年は1934年になります。

 すると1919年に忠実で思慮深い奴隷が任命されたというのは、まったくのでたらめになります。統治体支配の正当性が、まったくなくなってしまいます。ただこのためだけに、偽りの年代、西暦前607年を主張し続けているのです。

 ですから、この偽りの年代である西暦前607年というのも、早急に取り去ってしまいましょう。人に真実としてかたらないこと、長老や奉仕の僕の方は、もしこの記事を読んで、真実を知ったなら、もう公開講演で西暦前607年と1914年を真実のように語らないこと。不確かなことを、真実のことのように語るのは、不誠実です。



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