ものみの塔研究考察「組織の一員となることが特権という考え方について」

 さてこれで、やっとものみの塔研究もひと段落です。明日からは、少し明るい話題になると思います。では2013年4月号「うみ疲れてはなりません」の最後の副見出しをみていきましょう。

音信に調和した生活をする

忍耐し、エホバの組織と歩調を合わせるためには、「何が主に受け入れられるのかを・・・確かめ」つつ、伝える音信に一致した生活を送らなければなりません。
(p31)

 まずはね、兄弟・姉妹に言う前にね「何が主に受け入れられるのかを・・・確かめ」ることを、統治体とものみの塔協会がやってくださいね。自分たちの自己吟味が圧倒的に足りなさ過ぎますし、自分たちの失敗に対して甘すぎます。失敗をした兄弟・姉妹を排斥して、失敗した長老を削除するのに、自分たちに関しては、ずっと統治体のままですよね。

 まずは、人に言う前に、自分の垂木をどうか取り除いてください。

 それと、集会と宣教奉仕に忍耐して参加することが、エホバへの崇拝だとは思わせるというのは、大きな重荷になります。忍耐というのは、そんな部分で働かせるものじゃありません。集会や宣教奉仕が忍耐しなければ、ならない状態になっているのであれば、内部がすでにおかしいんです。その部分を改善もせずに、兄弟・姉妹に忍耐しなさいといって負担を増やしたらいけません。

 次の部分では巧みなテクニックが使われているので、注意して読みましょう。

重大な罪を犯したなら、どうすべきでしょうか。できるだけ早く助けを求めてください。(中略)「それを告白して捨てている者は憐れみを示される」のです。

 さてだれに助けを求め、だれに告白するのでしょうか。ものみの塔には、だれに対してするのかということは、まったく書かれていませんが、これは意図的に行われています。それは、自分たちが、そんなことを指示してはいないということを、裁判で主張できるように、なっています。

 その変わりに経験談を掲載します。

アンの経験について考えましょう。(中略)アンは助けが必要であることを悟り長老に近づきました。

 経験談を使って、思考の誘導を行います。経験談というのは、ひとりの個人の単なる経験なので、だれかが指示しているものとしては、裁判証拠として取り上げられないからです。

 こういう書き方をあえてするということは、研究用ものみの塔というのは、本部の法律部門において、法律的な視点からチェックを受けている可能性が非常に高いです。

 経験談がでてきたらいつも、注意することを僕はお勧めします。経験談というのは、思考の誘導になっている部分がかなり高いからです。普通の信仰を持つ、普通の人の経験はまず取り上げられません。組織から見て、模範的な人の経験しかかかれません。だから、経験談は、思考誘導になっている可能性が高いので、気をつけて読んでください。

 さて最後の節です。組織賛美と特権賛美で終わります。

この終わりの日に生活し、エホバの卓越した組織の一員となるのは、まさに類ない特権です。(中略)エホバの組織と歩調を合わせることができるだけでなく、りっぱなことを行う点でうみ疲れることは決してないのです。
(p31)

 また、卓越したといっていますね。いったい、エホバやイエス、立場の弱い女性や子供たちは、いったいどこにいってしまったのでしょうか。組織の前進のために、エホバやイエス、立場の弱い女性や子供たちをないがしろにしている姿には、哀れなものを感じます。

 右上の挿絵のキャプションには、本音がでています。教える必要があることは「イエス・キリストのよい便り」ではないようです。

エホバの大きな組織の一員になれるということを、熱心に教えなさい。
(p31挿絵のキャプション)

 いったい何を教えたいのでしょうか。組織崇拝と組織信仰でしょうか。いったいエホバやイエス、立場の弱い女性や子供たちへの配慮は、どこに消えてしまったのでしょうか。神と隣人への愛はどこに消えてしまったのでしょうか。ものみの塔協会は、組織の前進のために、神とみ子、女性と子供たちを振り落として進んでいきます。

 組織という偽りの神、偽りの偶像に、従っていくのは、もうやめにしませんか。