聖書研究 マタイ5章28節 女を見つづけてこれに情欲を抱く者はみな,すでに心の中でその[女]と姦淫を犯したのです

 マタイ5章28節を読んでみましょう。

女を見つづけてこれに情欲を抱く者はみな,すでに心の中でその[女]と姦淫を犯したのです
(マタイ5:28)

 僕がずっと不思議に思っていたのは、ものみの塔協会が、ここで語られる女という言葉を一般の女性に関して使っていることです。「女性を見て情欲を抱くこと自体が罪」のような表現がものみの塔誌の中には登場します。

 でもこの見解は間違っていると思います。なぜなら聖書は性欲を否定してはいないし、イエスは、姦淫について語っているからです。姦淫というのは、不倫のことです。つまり、イエスが罪と認識しているのは、姦淫であって、性欲ではないんです。

エスが罪と認識しているのは、姦淫であって、性欲ではない

 イエスは姦淫の前提になることについて語っています。つまり、夫を持っている女を見続けて情欲を抱くことです。ものみの塔協会は、イエスが姦淫について語っているということを故意に無視して、独身者の性欲を否定するという見解にしたてあげています。これは、間違いだと思います。

 新共同訳では、この点について配慮がなされています。見てみましょう。

みだらな思いで他人の妻を見るものはだれでも、既に心の中でその女を犯したのである。
(新共同訳 マタイ5:28)

 これなら納得ですね。