自分の過ごしている場所について自己吟味するということ

 自己吟味を続けていくということは、とても大切なことだと思います。そして、僕はみっつの観点で必要なことだと思います。

それで,立っていると思う人は,倒れることがないように気をつけなさい。
(コリント第一 10:12)

 一つ目は自分自身、ふたつめは家族、みっつめは会衆です。それぞれを自己吟味し、それぞれの状況について話あうということ、これが、今のエホバの証人にとって必要なことなのではないかと思います。

 今まで、エホバの証人は、自分の行動に対する責任を放置してきたと思います。自分の行動に関して、すべてのエホバの証人が無責任になっているのです。これは組織の指示でやったから自分には責任がないとか、これは組織の手順に従ってやったから自分には責任がないとかです。

 長老たち、自分の考えでさえも、これは組織の考えだというふうに、組織という権威を使って、会衆の管理を行おうとします。巡回監督も、同じような方法を用いています。会衆の兄弟・姉妹も、これは組織の方針だから、自分自身には責任がないと思い込もうとします。

 では、そのようにして、すべての兄弟・姉妹が責任逃れを行ったときに、その尻拭いはいったいどこにゆくと思われますか。それは、もっとも弱い立場を持つ人に向かって流れてゆきます。

 組織に責任を押し付けて、自分には責任がないというならば、もっとも大きな被害にあうのは、立場の弱い人たちや子供たちです。たとえば、鞭は組織の指示でやったので、親が自分には責任がないというならば、その痛みをひとりで抱えるのは、鞭を受けた子供たちなのです。

 ものみの塔協会は、ものみの塔協会で、そういう時代だったとは、指示としては与えていないといって、こちらも責任逃れをします。それで、被害をこうむっているのは、いつでも弱い立場の人や子供たちです。

 「自分は悪くない」。みんながこう思いたがります。けれども、実際は、ひとりひとりに責任があるということです。ですから、自分を自己吟味すること、家族の関係を吟味すること、会衆の状況を吟味することが必要だと思いま。責任はひとりひとりにあるので、考えることを放棄するということは、すなわち、責任逃れの悪い結果は、弱い人に流れていくということです。

 それで、どうか考えるということをやめないでください。