どうして組織に強く固着があるのか
組織ということがまったく聖書では強調されてはいないとうことは、明白な事実です。聖書の最初から最後まで通して読めば、組織という強調点は、まったくないことに気がつくと思います。でも、当たり前の事実を指摘したとしても、そのことをすごく嫌がる人たちもたくさんいます。
その理由の一つは、組織と自分を同化させてしまっているということにあると思います。組織というのが、自分の外側にある人にとっては、組織への何らかの指摘というのは、ぜんぜん痛くはありませんが、組織と自分を同化させてしまっている人にとっては、組織への攻撃は、自分への攻撃だと感じてしまいます。
組織と共に歩んできた人にとってみると、組織というのは人生の一部で、自分の命を懸けてきたものなので、間違いを指摘されても、それを簡単には切り離すことができなくなっています。組織への批判や組織への攻撃というのは、自分の身が痛むので、すごく抵抗にあいます。
もしこの仮説が、ある程度正しいのだったら、必要なことは「エホバ神、組織、自分」という関係を切り離してあげることです。組織というものを、客観的に見れるようになれば、組織への何らかの指摘が、自分への攻撃とは感じなくなると思います。
組織に強く固着がある人というのは、自分に自信がない人が多いと思います。過去に自分は否定されてきたのに、組織は肯定してくれたというパターンです。自分を否定するところに人は近づきたいとは思いません、自分を肯定してくれるところ、自分を評価してくれるところに近づきたいと感じます。
これは、利己主義なのですけれど、当人の心の中では、神のためにしている、人々のために行っているという信仰を持つ傾向があります。自己犠牲を払って、神のため、人のためによいことをしている自分が、どうして批判されなければならないんだ心情が働きます。
組織から肯定されているという感情に固着しないためには、「神」と「ひとりひとりの仲間」から肯定されている感覚が必要だと思います。