官僚機構に支配されているものみの塔協会

 カトリック教会もそうですけれど、組織の規模が大きくなるにつれて、大量の人を管理しなければならないという現実的な問題が浮上してきます。多くのお金を管理するには技術が必要ですし、多くの印刷を行うにも技術が必要です。法律的な面でも、巨大になってくると、訴訟案件も増えるので、法律部門が必要になってきます。つまり、純粋に、心の側面では解決できない問題が浮上してきます。

 ずばりといってしまえば、統治体のじっちゃんだけでは、現実的な運営は不可能だということです。となれば、運営を行うほうが、強い力を持つようになっていきます。組織が大きくなればなるほど、運営が複雑化するので、実際に運営を行うほうの人に力が移っていくのです。

 ものみの塔協会は、官僚機構を持っています。法律部門、財務部門、奉仕部門、建設部門のように、縦割りの行政組織が存在します。行政組織の長は、統治体が任命されています。これは、まるで、法務省財務省国土交通省のような日本の行政組織とまるで同じです。組織が複雑になるに従って、現実の運営が複雑になるので、実際に運営を行う、行政組織に力が移っていきます。

 でもよく考えてみてください。聖書の勉強をするだけに、複雑な組織は必要でしょうか。そもそも不必要なものが多すぎるんです。はっきりといっちゃうと、ものみの塔協会が存在しなくっても、僕たちは、何も困りませんよね。明日、ものみの塔協会が、倒産しても、僕たちは何も困りません。生活もできるし、集会にもいける、聖書はあるし、仲間もいる。信仰もなくならない。宣教は、個人的なことなので、やる気持ちさえあればできる。雑誌がなくなっても、工夫すれば、なんとでもなる。

 だから、ものみの塔協会が、明日なくなっても、困らない。だから、巨大で複雑になりすぎたものみの塔協会は、一度縮小しないといけません。そのためには、ものみの塔協会へのお金と人の供給をストップする必要があります。世界的な業と王国会館基金に寄付をしないという呼びかけを、世界的に行う。それは、クリスチャンとしての関係を改善するためです。ひとつの会衆「ものみの塔協会」が、数千億円の資産を持っているというのは、不自然なことだからです。

 ものみの塔協会は、僕たちの声には、ぜんぜん耳を傾けてくれない。いくらいっても、声は届かないし、長老や巡回監督は、ものみの塔協会の側について、会衆の成員をいじめる。だから、お金と人の供給をストップして、ものみの塔協会の力を弱めるのが、改善の一番早い方法だと思う。仲間の声は聞いてくれなくても、寄付が減るとなると、ものみの塔協会はあせる。

 僕たちが仲間だという理由では声を聞いてくれなくても、お金が減るという理由なら声を聞いてくれるかもしれない。だから、ものみの塔協会と交渉するために、寄付と人の供給をストップする呼びかけを世界的に行う。たぶん、これが、組織と官僚機構を縮小する方法で一番早いと思う。