彼らはいわれなくわたしを憎んだ

 この聖句をちょっと見てみてください。ちょっと下線を引いてみました。

『彼らはいわれなくわたしを憎んだ』
(ヨハネ 15:25)

 いわれなくってどういう意味だと思いますか。「いわれなく」というのは、「理由がないのに」という意味です。

 イエスは、イエスを信じる者は、理由がないのに、憎まれることがあると教えてくれています。理由なくして、罪に定められたり、無視されたり、冷たい視線で見られたりすることがあります。

 イエスには、どんな罪があったでしょうか、それは「自分をイスラエルの王」といった罪でした。このために、イエスは、処刑されたんです。

 反対に、理由がある場合は、きちんと「ごめんなさい」っていうのがいいです。理由があるのに「いわれない非難だー」といって頑なになる必要はないと思います。耳を傾けて内容を吟味して、自分に非があるなら「ごめんなさい」したらいいんです。

 イエスがいったのは、理由がないのにもかかわらず非難されることがあるよってことですね。世は、それがなんら罪でなかったとしても、自分たちの慣習に従わないという理由で、その人を、冷たくあしらうことがあります。

 自分たちの伝統のゆえに「隣人を自分自身のように愛さねばならない」という神のおきてを踏み越えてきます。僕は伝統というのは嫌いじゃないです。面白い。でも、それが、人の上に重くのしかかって、人を苦しめるようになるまでに至ったとしたら、それは、愛のおきてを台無しにしてしまいます。

 パリサイ人は、自分たちの伝統のゆえに、その考え方に調和しないイエスを激しく憎みました。罪のない方を、いわれなく憎みました。