ものみの塔協会が瓦解した後のこと

 ものみの塔協会の瓦解ということも検討にいれて、記事を書いていきたいと思います。もし、ものみの塔協会が瓦解してもそのままハッピーとはならない。支配権力が瓦解したときに起こるのは、一般的には、その代わりを目指す支配権力です。

 コントローラーがなくなったときには、世界の会衆は混乱に陥ると思います。この混乱の有様があまりにひどくなると、ものみの塔協会が存在したときのほうが平和だったといわれかねません。

 単純に、ものみの塔協会がなくなってもハッピーにはならないと思います。そうならないために、中央を持たなくても、うまく会衆間の関係を調節できる仕組みが必要です。

 たとえば、中央を持たなかった場合に、性的虐待問題が、会衆で起こったときに、だれが責任を取るのか、どうやって問題を解決するのか、まだだれも考えていません。

 ミニマルな中央の機能があったほうがよいのか、それともなくてもやっていけるのか、まだ誰も議論していません。僕としては、中央がなくてもやっていけるのであれば、それが一番よいと考えていますが、無理ならば、中央はできるだけ小さいほうがよいと考えています。

 ものみの塔協会の本部にいる権力を持つ人々と統治体には、責任をとってもらって退場してもらうのがよいと思いますが、設備の中には、伝道活動をするうえで、有効に利用できるものもあると思います。

 ものみの塔協会自体を壊すのか、失敗続きで責任感も能力もない現在の権力者に退場してもらう仕組みを作るのか、僕たちはどちらを目指しているのでしょうか。

 瓦解したときの着地点をしっかり見定めることが必要だと思います。