「歩調を合わせる」という言葉に惑わされないようにする
今会衆では、驚くほど多くの手紙による指示が続々と発表されているので、会衆の兄弟・姉妹たちは、今いったい何が起こっているのだろうかと、心の中では感じていると思います。
長老たちのもとには事情を知らない、不安を感じた兄弟・姉妹からの相談が、増えていることかと思います。ちょっと変なんじゃなのかという感じですね。
こういう場合に、日本支部と、巡回監督と、長老がいうお決まりの文句というのがあります。それは「エホバの組織に歩調を合わせていきましょう」という言葉です。
これは、どんなに状況であっても、忠実で思慮深い奴隷を支持することが、エホバへの忠節を示すことになりますという言葉によって、エホバへの崇拝にすりかえられます。
つまりこういうことですね。
エホバの組織と歩調を合わせることが、エホバへの忠節だと信じ込ませる
これは、ぶっちゃけていうと、大衆コントロールの手法ですね。神からというよりは、悪魔からのものですね。こういうことをいう、巡回監督や長老がいると思いますので、この考えがなぜ間違っているのかということを、いくつかのポイントで書いておきます。
人を信頼しすぎてはならない
統治体は人間です。また西暦前607年のエルサレムの崩壊というのは、協会の捏造ですから、統治体においては、権威において、何の正当性もありません。つまり、統治体、忠実で思慮深い奴隷を信頼することは、エホバへの崇拝とはまったく逆のことなのです。
高貴な者にも,地の人の子にも
信頼を置いてはならない。彼らに救いはない。
(詩篇 146:3)
聖書にはこのように書かれていますね。組織は反対のことを言います。兄弟・姉妹たち。皆さんは、神の側につきますか。それとも、組織の側につきますか。相反するふたつの事柄、同時に信じることはできませんよ。
組織に歩調を合わせるという考え方がそもそも聖書にはない
ギリシャ語聖書を開いて、最初から最後まで読んでください。どこに、組織という言葉がでてきますか。みさなんは、ちゃんと聖書を読んでおられない。僕は、そう感じます。
研究生の方だったわかります。そんな考えは聖書にはないのだと。組織という言葉は、兄弟・姉妹たちの会話の中だけで広がっているだけで、聖書に根っこをもっていません。その事実を受け止めてください。
とすれば、組織ということなんて、ひとことも言う必要がないんです。聖書の言葉で説明しましょうね。
異なる観点を持つことは罪ではない
異なる観点を持つということは罪ではありません。兄弟・姉妹たち、みなさんがたは、ものみの塔協会と異なる観点を持つことは罪だと、そのようにいいますね。冷たい視線で見る、無視する、危険人物扱いする、嫌がらせをする、そんなことを行っていますね。僕は知っていますよ。
よく考えてください。異なる観点を持つということは、どこが罪なんですか。どこが悪なんですか。責められるべき理由はなんですか。よく考えれば、責める必要のない理由で、責めているということですよ。だから、兄弟・姉妹には、ご自分の認識をぜひ改めていただきたい。
組織が背教者と名指した人が、背教者なのではありません。そうではなくって、背教者と名指すその人、その組織が、まさに背教者です。
ともに滅びてしまうかもしれない
兄弟・姉妹たち、ここが肝心です。みなさんは、命を得ようと思って、組織とともに歩んできました。しかし、組織自体が、誤りであれば、その進んでいく先は、命ではなく、死です。
蛇は、サタンでした。聖書では、偽り者と書かれていますね。サタンは光の使いに変装するとも書かれていますね。サタンの見分け方は、実は簡単なんですね。嘘をつくことが特徴になっています。
ですから、組織が嘘をついていたら、それはサタンからのものですね。だから、よく調べるのがいいですよ。それについていったら、命ではなくって、死に向かっていっちゃいますからね。
組織の教えはこうです。「奇妙で異例な指示でも組織に従うように。それが永遠の命を意味しています。」
聖書の教えはこうです。
彼らが,唯一まことの神であるあなたと,あなたがお遣わしになったイエス・キリストについての知識を取り入れること,これが永遠の命を意味しています。
(ヨハネ 17:3)
イエスの言葉を信じて命に入りますか。それとも、組織の言葉を信じて命を失いますか。どちらを選びますか。