集会信仰を打破するためにはどうしたらよいか

 エホバの証人の慣習として、僕が行き過ぎだと感じているものに集会信仰があります。集会信仰とは、できる限り集会に出席しなければならない、ちょっとやそっとのことでは集会を休んではいけないという信仰のことです。

 さらに、すべての集会への出席は、バプテスマの条件にすらなっています。

「集会の出席や伝道の参加が救いの条件ですか」

(中略)

WT出版物の答え↓

バプテスマを受ける用意ができているかどうか,どうすれば分かるでしょうか。一つの方法は,以下のように自問することです。『聖書の基本的な教えを説明できるか。親が出ていない時でも,奉仕に参加しているか。クリスチャンの集会すべてに出席しようとしているか』
(尋ねたい質問 | エホバの証人についてのブログ)

 エホバの証人の長老は間違ったことを教えます。たとえば「集会に出席することがライフラインだ」とかです。ライフラインというのは、命の道のことですね。でも、聖書を読めば、長老やものみの塔協会がまったくでたらめを言っていることはすぐにわかります。聖書の中で、命と呼ばれているものが、集会のわけがありません。

 集会信仰を打破する方法は実は簡単です。それは、遊んだり、体を休めたりする目的で、集会をときどき休むことです。遠慮なく休みます。これをできるだけ、多くの兄弟・姉妹で行います。

 すると研究生の人も、あぁ、休んでいいのだなと感じるようになります。するとどうなるでしょうか。長老は、その研究生が、エホバの証人の兄弟・姉妹が、集会に休んでいるのを見て、その人もそれをまねすれば、その人をバプテスマに推薦することができません。

 みなさんもどうか、勇気を出して、遊んだり、体を休めたりするために、集会を思い切って休んでみてください。そして、集会にきている研究生に、集会に行ったり休んだりしていることが、伝わるようにしてみてください。

 するとジレンマが起こるのです。長老たちは、どう対処すると思いますか。にらみをきかしてくるでしょうが、結局のところ、何も悪いことをしていないのですから、何もできません。研究生も真似をするでしょう。そうすれば、バプテスマの推薦をすることができません。

 そこで、こう突いていきます。「どうして、集会に出席しなければ、バプテスマを受けられないんですか。そんなこと、聖書に書いてありましたっけ。エチオピアの宦官は、すべての集会に出席していましたか。それとも、そうではありませんでしたか」

 長老とものみの塔協会は、偽りを教えているので、何も言い返せません。