みざる、きかざる、いうだけ
長老、巡回監督、支部委員は「みざる、きかざる、いうだけ」の人になっているように感じています。
不都合な真実については、みない、きかない、そのくせ、人の行動に関しては、どんどん口を出してくる。こういう長老、巡回監督、支部委員ばかりのように思います。
みざる「性的虐待裁判は見ないようにしよう」
きかざる「末端信者の訴えは聞かないようにしよう」
いうだけ「集会中に騒ぐなら、鞭で叩いて、懲らしめてください。」
みざる「ものみの塔協会が不法投棄しているのは見ないようにしよう」
きかざる「西暦善607年のエルサレム崩壊が間違っているという意見は聞かないようにしよう」
いうだけ「仕事の作業着で集会に出席することはふさわしくありません!」
みざる「ものみの塔協会が、無免許で貸金業をやっていたことは、みないようにしよう」
きかざる「輸血拒否のために死んでいった人の声は聞かないようにしよう」
いうだけ「耳に髪がかかっているのは、他の兄弟をつまづかせることになります」
みざる「排斥された人には視線すら合わせないようにしよう」
きかざる「1919年にイエスは臨在していないという意見は聞かないようにしよう」
いうだけ「公開講演で、方言を使うなら、良い便りを伝える妨げになるのではありませんか」
みざる「会衆内でいじめがあるのは見ないようにしよう」
きかざる「忠実で思慮深い奴隷は偽りだという声は聞かないようにしよう」
いうだけ「忠実で思慮深い奴隷を信頼することによって、イエス・キリストにも信頼を示していることになるのではありませんか」
このように、長老、巡回監督、支部委員は、ものごとの本質を何も見ようともせず、本当にどうでもいいようなことしか、いいません。僕は、長老や巡回監督の口から、どうでもいい助言以外を聞いたことがない。
特権を持っている人は、目も見えず、耳も聞こえていない、そういう状況だと思います。
あなた方は聞くには聞くが,決してその意味を悟らず,見るには見るが,決して見えないであろう。この民の心は受け入れる力がなくなり,彼らは耳で聞いたが反応がなく,その目を閉じてしまったからである。
(マタイ 13:14-15)