人は死ぬとどうなるのか
僕は、聖書以外でも、読書をけっこうします。歴史の本も読んでいます。そして、ずーっと過去にさかのぼっていって、縄文時代までを黙想していました。
寺や神社の大きな目的はなんだと思いますか。それは、怨霊を鎮めるという役割です。死者の供養とも結びついています。奈良時代というのは、710年ですが、この時代の天皇(といっても、藤原氏が実質的な権限をもっていたのでしょうが)は、怨霊を鎮めるために、奈良の大仏を作りました。
ということは、奈良時代にはすでに、死んだものは、霊となって生きていて、たたりを起こすと信じられていたわけです。死者と穢れを結びつける思想は、仏教由来のように感じます。ちなみに豆知識として、天皇は、歴史的には、神仏習合の宗教を歴史的に持っており、国家神道は、明治以降の産物です。
さて飛鳥時代に下っていくと、大化の改心(645年)があったころくらいまでは、大きな古墳がありました。それ以後は、古墳は少しづつ消滅していきます。
古墳時代は2世紀半ばくらいからと考えられ、このころから、大きな古墳が作られるようになっていきます。埋葬品には剣や鏡などがあるようです。
意味的には、大きな権力をもった人は、大きな墓に埋葬されるようになった。権力の大きな人の死に対しては、大きな墓を作らなければならない。
古墳は、朝鮮半島にも多く見られるから、死者を鎮魂する技術として、日本の権力者が、外国の技術を取り入れたのかもしれない。
さて、最後に縄文時代。縄文時代にも墓はあった。縄文時代には、女性の土偶が多く作られた。土偶は妊娠していることが多いので、豊穣、多産を願うものであったのかもしれない。墓の中からは、土偶が多く見つかるようだ。
狩猟採集民族だったので、血に対する穢れ思想は、縄文人は持っていないようだ。
セックスに関心が強い、子供が好き、自然が好き、女性を下に思わない、血は特にどうとも思わない、川にいくと無性に焼き魚が食べたいということを考えると、僕は、縄文人の遺伝子が濃いのかもしれない。