イエスは父を否定しなかった
たくさんの人が神について誤解していたし、神がどのような方なのか、何をもっとも大切にしているのかということは、「律法」と「預言者たち」を読むだけでは、なかなか理解しにくかったに違いない。
律法の中で何が一番大切か。イエスは、こう答えます。それは、神を愛することと、隣人を自分自身のように愛することです。
イエスは、父を愛していました。イエスは、父の言葉を行っていました。父おひとりだけが、本当の意味で善い方であるといいました。
僕は、父が否定されて、イエスだけが肯定されるような風潮には、異議を唱えたいと思います。たとえば、人間としてのイエスやブッダが前面にだされるとき、父は、隠れてしまうのです。
父を否定しながら、イエスだけを肯定することは、イエスの意思でも、父の意思でもないでしょう。イエスは、父を否定せず、肯定したからです。
父に怒りを向けている人は、父の思いをよく理解していないのだと思います。この方は、自ら悪を行うことはしません。悪には悪を、善には善を返す方だからです。
つまり、神が一見すると自分から行動したように見えても、それらは、すべて悪に対する反射として、起こっています。聖書の中に現れることのすべては、そのようになっています。
父自らが、悪を行うことはありません。善に対して、悪を返すのは、実際は、人なのです。
彼らは善に対して悪を,わたしの魂には喪失をもってわたしに報います。
(詩篇 35:12)
人の凶悪さに目を向けず、どうしてまず神に目を向けるのですか。神は、あなたに害を加えたことなどないではありませんか。害を加えているのは、いつでも人ではありませんか。
どうか、父に対する誤解と怒りを静めてください。