公正に分け合うということ

 昨日は難しい話になったけれど、簡単にいうと、公正に分け合うということだ。公正に分け合う努力をしないと、それは、いつでも不満になっちゃう。

 もちろん富だけではなくって、決定権、権力、喜び、食べ物、資源などを、公正に分け合う努力をしなくっちゃいけない。

 分け合うためには、豊かなときに蓄えておく必要がある。そして、貧しいときに、分配する。

 そんなに難しい考え方じゃない。ヨセフは、豊作のときに、蓄えて、不作のときに、分け与えましたね。

 豊作の時には、貯めおきました。

それからヨセフはファラオの前を出て,エジプトの全土を回った。そして,豊作の七年の間その地は手にあふれるほど産出しつづけた。それで彼はエジプトの地にできたその七年間のすべての食料を集めてゆき,その食料をそれぞれの都市に置くのであった。
(創世記 41:46-48)

 そして、不作の時には分け与えました。

そして飢きんは地の全面に臨んだ。そのときヨセフは人々の中にあったすべての穀物貯蔵所を開いてエジプトの人々に売りはじめた。飢きんはエジプトの地を強くとらえていたのである。さらに,全地の人々がヨセフから買い求めるためエジプトにやって来た。飢きんは全地を強くとらえていたからである。
(創世記 41:56-57)

 僕の意見としては、民主主義という政治体制の中においては、ヨセフのように優秀で、公正な分配についてよく考えている人たちに、権力を握ってもらうのがよいと思っています。

 優秀な人が嫌いで、ねたましいとしても、難しいことについては、優秀で公正な分配に関心を持っている人にやってもらうのが一番です。そうしないと全体が、崩れていきます。