伝道の書を読む 第二章「だれもがひとつの終局に向かっていく」
ソロモンは、多くの富・財産・奴隷を得た。ぶどう園をもうけ、あらゆる種類の果樹を植え、家々を建て、下男やはしため、牛や羊などの多くの畜類も持つようになった。
男の歌うたいたち、女の歌うたいたちももって、淑女たちももうけた。「わたしは自分の目が願い求めるものは何物をもそれから遠ざけなかった。」
しかし、ソロモンは、絶望します。いくら財産をたくさん集めたとしても、それは、結局は、だれかのものになる。その人は、賢いか愚かなものかもわからない。
そして命さえも憎みます。「わたしは命を憎んだ。日の下で行なわれた業は,わたしの見地からは災いの多いものであり,すべてはむなしく,風を追うようなものだったからである。」
そして、すべての人は、賢い人も愚かな人も、死というひとつの終わりへと向かっていくことを知ります。
そしてわたしは,わたしもまた,それらすべてが迎える一つの終局があることを知るようになった。そして,わたし自ら心の中で言った,「愚鈍な者が迎えるあのような終局をわたしも,このわたしも迎えることになるのだ」と。
(伝道の書 2:14-15)
多くのものを手に入れたとしても、最後の報いは、すべての人が向かう終局である死です。ソロモンは、そのことにむなしさを感じています。
そして、ソロモンには、ひとつのことを悟ります。それは、大きな喜びとは、神からのものによって、自分の命によいものを味あわせるということです。
人にとって,食べ,まさしく飲み,自分の骨折りによって魂に良いものを見させることに勝るものは何もない。これもまたわたしは,わたし自ら見た。これが[まことの]神のみ手からであるのを。というのは,だれがわたしより良いものを食べたり,飲んだりするであろうか。
(伝道の書 2:24-25)
神からのもので、自分の命を楽しませる。このような視点を、ソロモンは得ました。多くのものや多くの知識という、ただ過剰なものを得ようとすることはむなしいのです。
本質なことは、神からのものによって、自分の命を楽しませるということです。伝道の書で語られているものは、知恵などの精神的なものだけではありません。
食べ物、飲み物、働くことによって、自分の命によいものを見させることについて語っています。