性的虐待隠蔽問題について統治体ジェフリー・ジャクソンになされた聴聞に関する雑感

 いつくかのブログで、統治体ジェフリー・ジャクソンに対する聴聞の様子を解説してくださっているブログがあります。僕は、ヒアリングができないので、これらの情報から、感じたことを書きたいと思います。

長老は必ずしも指示に従う必要はないという詭弁

 skさんのブログのほうから。

組織の権威構造について、

ジャクソンは、支部事務所は統治体の指示に従うが、盲目的にそうするのではなく、まず神への従順が優先されると答えています。

同じように会衆も支部事務所の監督下にありますが、神への従順が優先されると述べています。

 ジェフリーが述べていることは、支部は本部の指示に従う必要は必ずしもないということです。会衆も、統治体からの手紙や支部事務所からの指示に必ずしも従う必要はないと述べています。

 けれども、実際もし、そのような態度をとったとしたらどうでしょうか。人事権を持っているのは、ものみの塔協会のほうです。もし、指示に従わないような態度を示したとすれば、その長老は、自らの特権を剥奪されるでしょう。

 ですから、自分の良心において、神への従順を優先したとすれば、長老という立場を退けられ、組織に従順な長老が選任されることになります。

 ですから、ジェフリーが言っていることは、まったくの詭弁なんです。神のへの従順を優先してもかまいません、けれども、その立場を失うことは覚悟しなさいということなんです。

 このようなわけで、長老という立場にいるならば、隠蔽の精神が育まれるというのは、当然のなりゆきです。

排斥の方針は変えない

 排斥に関する質問において。

人々が離れる選択をする際に、これまでの交友を失うことが伴います。
そのことについて、宗教の自由選択の原則や愛と思いやりの神の見方により、ものみの塔協会の排斥、断絶、不活発を扱う方針や制度の改善が提案されました。

ジャクソンの答は、No, でした。

 統治体および、協会は、今後も排斥の方針を変えないでしょう。児童性的虐待隠蔽に関するわずかな改善を行って、逃げ切ろうとしているように感じます。根本的な解決を行おうとする意思が、統治体からは、見受けられません。

 ジェフリーの答弁から見えるのは、最小限の痛みだけで、逃げ切ることです。ジェフリーの姿は、典型的な善意のエホバの証人の長老の姿と重なって見えます。つかみどころのない、あいまいな、責任を逃れようとする答弁です。

 エホバの証人の会衆では、加害者である長老は、被害者を反抗的という理由だけで排斥にすることができ、被害者である成員は、二人の証人がいないという理由で、長老を罪に問うことができません。

 こういう現状があるなかで、排斥による不当な忌避を行い続けることは、そうとう問題があります。

統治体は出版物を執筆していない

 次は「荒野に呼はる者の声す」のブログのほうから。

検察官役カウンセラーは、王国学校の教科書を示し、ジェフリー・ジャクソンはそのような教科書を統治体は直接書いたりしたことは無く、霊的に内容が聖書と調和しているかをチェックしているに過ぎないと弁明するが、検察官役カウンセラーはそのような出版に於いて統治体に責任があるのは当然だと反論。

 ジェフリーの答弁からわかることは、統治体は、王国学校の教科書の執筆にはまったくかかわっていないということだ。統治体は、霊的なチェックを行うだけで、そのような出版物について責任はないと言いたげだ。

 しかし、監督責任から免れるわけではないという当たり前の反論を検察官役カウンセラーから受けている。

手紙を統治体は書いていない

ジェフリー・ジャクソンは、殆どの「長老団宛の手紙」は、直接統治体が書いたものでは無いと主張。

 また、ここでも、ジェフリーは、自分が直接書いたのではないということで、自分には責任がないということを言いたげである。

 統治体は何がいいたいかというと、自分たちの責任は、霊的な監督であって、実務に関しては何の責任もないということだ。忠実で思慮深い奴隷は、精神的な権威なのであって、組織実務に関する責任は、自分たちにはないといったゲリト・レッシュと同じだ。

 霊的な監督をしているだけなので、自分たちには、実務に対する権限も責任もない。そのようにいいたげだ。

聖職者の守秘義務との間のジレンマのせいだと語る

報告されていないオーストラリアでの小児性的虐待の件数を聴かれたジェフリー・ジャクソンは、聖職者の守秘義務とオーストラリアの法律のジレンマを説明し、小児性的虐待等の即時通報に関わる法律は霊的な羊飼いにとっても決定を容易なものにする、と述べた。

 宗教特権のなかで、ほとんど機能せず、害悪となっているもの。それは、聖職者の守秘義務だ。守秘義務というよりは、聖職者を守るための特権となっているもの。

 聖書の基準が、基本的には、ものごとを明らかにすることであるのに、宗教団体には、聖職者が自分たちの権利を保護するために、隠蔽する権利が与えられている。これは、クリスチャンの精神とは、まったく正反対なものを生み出している。

 この宗教特権を理由に、報告しなかったのだとジェフリーは弁明した。これは、ものみの塔協会の弁護士の受け売りであろう。聖職者には隠す義務があるのだ。それは、加害者の秘密を守るためだ。そのジレンマのせいで、報告しなかったのだという。

賠償問題は議論中

犠牲者への対応の改善策は、賠償問題も含めて、今議論している。

 ジェフリーは、犠牲者への対応の改善策は、議論中だと語る。でも、これは、統治体が、自ら進んで行う改善ではなくって、キャンディス・コンティ裁判で、敗訴したので、しぶしぶ行う必要があって、それを、議論しているということに過ぎない。

 彼らは、エホバの証人ために、自分たちを犠牲にして、進んで改善することなど、決して行うことはない。世の裁判で敗訴して始めて、その対応を改善するという、後だしに過ぎない。

 これまでは、協会は、被害者に裁判外の和解金を支払うことで、対処してきた。お金と秘密裏の謝罪をして、対処してきた。そのことは、エホバの証人の会衆には知らされずに、世界的な業への寄付を、会衆に求め続けてきた。

 基金から支払うといっても、それは、統治体の財産というよりは、世界中のエホバの証人から、さらに王国会館が必要という嘘をいって、かき集めたお金だ。統治体のふところはまったく痛まない。

 彼らは、自分の財産からは支払うとはいわない。会衆から集めた基金を使って、対処するだけだ。そして、会衆には、そのことを知らせはしない。

 ジェフリーは「謝罪を考えている」というようなことを言っているが、それは、秘密裏に、お金を払って謝罪・和解をするといういままでの方針の延長に過ぎない。

改善案は「犠牲者は警察に通報できるということを伝える」ということだけ

長老たちが犠牲者に警察や司法当局を呼ぶことが出来る旨伝えること、とジェフリー・ジャクソンは述べた。

 統治体と協会が考えている改善案は「長老が犠牲者に対して警察に通報することができると伝える」というもののようだ。

 なんだそりゃと思う。言われたほうは、自分が、脅迫されていると思うんじゃないかな。「警察に通報できるけれど、会衆での立場は、どうなるかわかっているね。」みたいな感じで。

 こんなことが、改善と呼べるのか。

 このような答弁を見ていて感じたことは、統治体・ものみの塔協会に、抜本的な改革の意思ははなく、裁判で負けて賠償金をとられないための最小限の改善を仕方なく行うということで終わるだろうということだ。

 もう宗教特権を主張し続ける宗教団体に、人を近づけてはいけないんじゃないかと思うようになってきた。国家も、宗教団体に、宗教特権を許しているから、ものみの塔協会が、逃げ切ることができるのだ。

 抜本的に改革するためには、聖職者の隠蔽する権利を許可しない仕組みを作るしかない。善意にゆだねていたら、被害者が増え続けるだろう。