主体的な行動が最後には必要になる

 みなさんは、ものみの塔協会が、批判だけで、解体すると考えていますか。徹底的に批判をすれば、壊滅する、そんな風にお考えですか。徹底的に批判すれば、ものみの塔協会と統治体は考えを改め、輸血拒否をやめ、排斥の忌避をやめ、1914年を取り下げると考えていますか。

 僕は、そのようには考えていません。批判は、必要です。ものみの塔協会に、寄付を提供しないことによって、ノーということも、必要です。でも、これだけではいけません。これは、ものみの塔協会を縮小するために、まず必要なことですけれど、縮小するだけでは、ものみの塔協会は、考えを決して変えません。

 ものみの塔協会と統治体は、もはや酔っ払いのようになっていて、適切な判断をまったく下すことができません。決定は常に、悪い方向に向かい、世界中の会衆をボロボロにしていきます。ものみの塔協会が、縮小した後に、この状態を長く続けてはいけないのです。

 最終的に必要なことは、主体的な有志が、エホバの証人の運営に参加することです。統治体とものみの塔協会に変わって、エホバの証人の運営を行うことです。その運営体が、世界に向かって、輸血拒否の教理の廃止、排斥による忌避の廃止、1914年の教理の廃止を、宣言することが必要です。もちろん児童性的虐待の解決も。

 では、どのように主体的な有志の出現を導くのでしょうか。その要点は、自立的な会衆の結びつきにあります。ものみの塔協会と統治体に絶望した会衆が、勇気を振り絞り、自立し、横に結びつきます。そして、現在のような不透明な運営ではなく、すべての議論を公にして、世界中のエホバの証人を巻き込みます。

 勇気ある長老、勇気ある会衆の出現、そして、それを支える世界中のエホバの証人。そのような主体が、ものみの塔協会と統治体にとって変わるとき、最悪の教理の除去が宣言されます。もちろんこの有志は完璧ではありません。けれども、完璧ではなくとも、最悪の教理を取り除くことで、まず結び合わされるのはいかがでしょう。