注意深く特定の話題を避けるというエホバの証人の心理状態について考える

 エホバの証人の多くの人は、かなり詳しく世の中のニュースを知っています。それは、伝道活動をするときに、最近のニュースに目ざとくあることによって、そのことを話題にするためです。長老や巡回監督も、長年の間、エホバの証人に、ニュースを見るように、誘導してきました。

 ですから、エホバの証人というのは、ニュースについては、結構知っているんです。そこらの世の中の人よりも、ニュースを見ているはずです。

 だからこそ、不自然に感じるのですが、エホバの証人や協会に関するよくないことに関してだけは、注意深く話題をそらそうとします。心の中では、その話題について知っていたり、考えたりしているのに、故意的に、無視したり、知らないふりをします。

 これは、エホバの証人の心の傾向となっています。そういう心理状態について考えてみましょう。

明るく振舞う人は大きな不安や不満を持っているということがある

 明るく楽しそうに笑う人は、幸せそうに見えます。けれども、実際に、家庭などの内面の暴露が許されているような場所では、ものすごく不満をもらしたり、攻撃的になったりすることがあります。

 これは、実際は、明るく振舞うことで、不安を紛らわしているのです。もうひとつは、エホバの証人は、真理をしった幸福な人なのに、自分が不幸そうにしていたら、自分が敗北したと思うということです。

 「幸せな民でなければならない」だから、幸せそうに振舞わなければならない。悪い部分が見えないように振舞わなくてはならない。でも、そういう態度は、見る人が見れば、すぐにわかるし、不自然さを払拭することはできません。

 研究生の前では、徹底的に、幸福そうに振舞う。一方で、仲良く心許している姉妹の前では、ものすごい愚痴をいう。そういう光景もありますね。それが、不自然な状態だということを、感じ取ってほしいです。

年配の姉妹に注意される、長老に注意される

 エホバの証人のほとんどの人は、児童性的虐待の裁判のことを知っています。でもそれを、会衆の中で話すとどうなると思いますか。もし、エホバの証人であった人なら、そのような話をすれば、いやな顔をされたり、注意されたりする光景が目に浮かぶのじゃないでしょうか。

 多くの兄弟・姉妹の前で、自分だけが辱められる。そんなのはいやだ。そういう感情があって、思っていることが口にでません。第二会場に呼ばれて、注意される。そういう不安から、正当なことでさえも、口にすることができません。

 内部告発をしても、長老も巡回監督も、その内容をまともに聞くことはない。逆に、その人を危険人物扱いする。そういう方針を、日本支部も本部もとってきた。だから、特定の話題について話せないということが起こっている。

問題を放置するようなたくさんの誘導がある

 日本支部は、問題を放置する方向の助言をするように、常に、巡回監督に伝え、それを長老に伝えます。

  • あなたは、自分の発言によって会衆の平和や一致を乱しています。
  • エホバを待つことが大切です。
  • 消極的な話題をしないようにしましょう。
  • 長老は不完全です。愛で覆うことによって、エホバへの忠節を示しましょう。

 これは、神の言葉の皮をかぶった、隠蔽のための言葉です。聖書の権威を利用して、隠蔽を行うための助言を長老達は行い、それを破れば、無視を行うという精神的な虐待を、長老たちは、指導してきました。みんなは、これに恐怖を感じていますが、自分の身を守ったり、自分の特権を維持するために、従わざるをえません。

 自分が本心では思っていないことを、平気で、演壇から語っている、長老や奉仕の僕がたくさんいます。良心を殺して「伝えることはエホバからの使命」というような言い訳を心の中に作って、話しています。これでは、何も伝わらない。

 事務的なクリスチャンになることによって、自分の身を守っている。真のクリスチャンは逃げ出し、事務的なクリスチャンばかりが、長老になっていく。

 あたなの心を守れ、そうエホバは、いっておられるのにもかかわらず。

守るべき他のすべてのものに勝ってあなたの心を守れ。命はそこに源を発しているからである。 曲がった話し方を自分から取り除き,ねじくれた唇を自分から遠ざけよ。あなたの目はまっすぐ前方を見るべきである。
(箴言 4:23-25)

 神がまっすぐな方であられるので、あなたがたもまっすぐでなくてはならない。自分の良心を、無理やりねじ曲げてはいけない。それを続けていると、しまいには、鬱になってしまいますよ。