伝道の書を読む 第五章「神はその人を喜びに専念させておられる」

 神の家に行くときには、あなたの足を守れ。聞くために近寄れ。神の前で、性急に言葉を出してはならない。神は天におられ、あなたは地にいるから。誓約をたてるなら果たせ。果たせないなら、誓約をしないほうがよい。ただ、まことの神をおそれよ。

 大いなるものが所有する富は、災いのときのために貯めおいておかれている。

わたしが日の下で見た厳しい災いがある。富はそれを所有する大いなる者にとって,その人自身の災いのために保たれているのである。そして,その富は災いの多い営みのために滅びうせ,その人は自分の手に全く何もないときに子の父となった。
(伝道 5:13-14)

 人は、裸で生まれ、裸で去っていく。死に際して、何も手にして持っていくことはできない。いくら骨折って働いたからといって、死は存在さえも飲み込み、何も携えることはできないのである。

 それゆえ、命の日が続く限り楽しめ。それが、神がお与えになったものである。

見よ,わたしが自ら見た最善のこと,すなわち麗しいことは,[まことの]神が人にお与えになった命の日数の間,人が食べ,飲み,日の下で骨折って働くそのすべての骨折りによって良いことを見ることである。それがその人の分だからである。
(伝道の書 5:18)

 神は、自分の分を得ることができるようにされ、働くことで喜ぶことも可能にされた。神はその人を喜びに専念させておられる。

また,[まことの]神は富と物質の所有物とを与えたすべての人に,それから食べ,自分の分を持ち去り,自分の骨折りを歓ぶことをも可能にされた。これが神の賜物なのである。その人が自分の命の日を覚えることは度々あることではないからである。なぜなら,[まことの]神は[その人を]その心の歓びに専念させておられるからである。
(伝道の書 5:19-20)