伝道の書を読む 第六章「後で何が起こるかをだれが告げることができようか」

 たとえ、百回父になろうとも、どんなに長生きしようとも、自分の体がよいものに満ちていないのなら、月足らずで生まれてこなかった人ほうがましである。

たとえ人が百回父となり,長年生き,その年の日数が多くなったとしても,その魂が良いものに満ち足りておらず,墓さえもその人のものになっていないのなら,わたしは言わなければならない,月足らずで生まれた者のほうが彼よりもましである,と。
(伝道の書 6:3)

 ソロモンは、何回も繰り返します。世の中にはたくさんの災いがある、世の中は虚しい、みんな死んでいくだけではないか。

 だからこそ、命の日の限りの間に、食べ、飲み、働き、自分の体によいことを見せること、それに価値があると。

 そして、後にその人に、どんなことが起こるかをだれも告げることなどできない。

多くのむなしさをもたらしている事柄が沢山あるので,人にどんな益があるというのか。 むなしい命の日数の間,人の命にどんな良いことがあるかを,一体だれが知っているであろうか。人は影のようにその[日々]を過ごすのではないか。だれが日の下でその後に何が起こるかを人に告げることができようか。
(伝道の書 6:11-12)