ヨブ記を読んでいる。

 エホバの証人の世界では、ヨブは、神に対して非難をしなかった人という認識で通っているように思う。雑誌で取り上げられるのは、この聖句が多い。

ついに,その妻は彼に言った,「あなたはなおも自分の忠誠を堅く保っているのですか。神をのろって死になさい!」しかし,彼は彼女に言った,「無分別な女の一人が話すように,あなたも話す。わたしたちは[まことの]神から良いことだけを受けて,悪いことは受けないのだろうか」。このすべてのことにおいてヨブはその唇をもって罪をおかさなかった。
(ヨブ 2:9-10)

 けれども、これは、ヨブ記の前半部分について、書かれた部分であって、主題は、むしろ、その後ろにある。ヨブの態度は変化する。ヨブは、神と論じたいといい、自分の訴えは正しいといいます。

たとえ,[神]がわたしを打ち殺すとも,わたしは待ち望まないだろうか。
ただし,わたしは自分の道のために[神]の面前で論じたい。

[神]もまたわたしの救いとなってくださる。
[神]の前には背教者は出られないからだ。

わたしの言葉を終わりまでよく聞いてもらいたい。
わたしの宣言があなた方の耳に入るように。
どうか,見てもらいたい。わたしは正当な訴えを述べた。
わたしは,自分が正しいことをよく知っている。
(ヨブ 13:15-18)

 ヨブの三人の友、エリパズ、ビルダト、ツォファルは、ヨブを責めます。ヨブには、罪があるかのような言い方をヨブにし、神に対する僭越さを非難します。しかし、ヨブは、自分に罪がないことをしっているので、自分の正当性について語ります。

 こういう流れが、ヨブ記の中盤にあります。前半「ヨブと神とサタン」、中盤「ヨブと三人の友」、終盤「ヨブとエリフと神」とみっつの部分にヨブ記は分かれていて、よく取り上げられるのは、前半ですが、このみっつの部分について、よく意識して読む必要があります。

 中盤の流れがわからないと、終盤の意味が読み取れないからです。僕は、ヨブ記を始めて読んだときは、すごく戸惑いました。なぜなら、集会では、ヨブは、神に対して忠実だったと、教わるのに、中盤では、ヨブは、神のことを悪くいうからです。

 協会が教えるのヨブ記の理解では、中盤を理解して読むことができません。ヨブは、自分が正しいから、そのことについて、神と論じたい、という主張が、中盤では大切なポイントです。このヨブの気持ちを理解できると、中盤は理解しやすくなると思います。