やっぱり、レッテル貼りや、謝罪要求は、良い結果にならない

 僕は、何回も何回も書いているけれど、やっぱりレッテル貼りは、よくない。あわせて、謝罪要求もよくない。レッテル貼りよりは、問題の具体的な指摘、解決策を語るほうがよいし、謝罪要求よりも、状況の改善を語ったり、可能な譲歩について語ったほうがよい。

 実際にいろいろ経験して、このことの意味を、理解してくれる人が、増えてくれたらうれしい。

 レッテル貼りというのは、ひとつの広告だし、ひとつの誘導だし、過大な表現を含むし、自制心や良心を麻痺させる。自分は、安全な側、正しい側にいるという錯覚を強くさせる。

 人間は、思うほど立派ではない。もちろん立派なときもある。しかし、レッテルを貼るときは、間違いなく、自分は、こいつより立派だと思っている。自分自身の傲慢さや、錯覚については、どこかに忘れてしまっている。

 考え直すこと、状況を見ること、悪く言い過ぎたことを反省すること、自分にも悪い側面があることを自覚すること、そういうことを、すっぽりと忘れてしまって、人を責めてばかり。

 僕は、レッテル貼りよりも、具体的な問題を指摘することを望むし、謝罪よりは、状況の改善を望みます。

 キリストは和解の大使として、きたということ。だから、そのような精神態度を僕は持ちたいと思う。

わたしたちが敵であった時にみ子の死を通して神と和解したのであれば,まして和解した今,[み子]の命によって救われるはずだからです。
(ローマ 5:10-11)

 キリストの目的は、神と人を和解させるということ。神が人を憎み、人が神を憎む状態を止めること。父について知らせ、父の裁きを遅らせた方。