集会では励まされない会話は禁止という暗黙のルールについて考える

 集会では、励まされない会話は禁止という暗黙のルールがある。

やっぱり励まさない会話は禁止されているから
怖くて口に出せないのでしょうか?
(JW一世 個人研究と黙想 jw.org)

 励まされない会話というのは、組織の方針について疑問を述べたり、マイナスとなる感想を言ったりすることだ。組織の美しいイメージを壊す会話は、禁止されている。

 エホバの証人の兄弟・姉妹は、自分が制裁を受けることを非常に恐れています。その会話に加わったときに、組織や、周囲の姉妹たち、また長老から、私的な制裁を受けるかもしれないと予感します。そして、反対に、組織の方針を賛美していれば、誉められたり、特権を得ることができます。霊的な姉妹、模範的な姉妹と呼ばれます。

 組織に対して疑問を抱くことは、辛く、葛藤であり、恐怖であり、不安であり、制裁の予感を感じます。反対に、組織の方針を、誉め、賛美し、従うことは、自分が誉められ、責められることはなくなり、気持ちが楽であり、楽しく、立場が高く、特権を得る道ともなります。

 アメとムチが、埋め込まれています。特に、女性は、周囲との関係を壊したりしては、その場所で生きていくことができません。なんとなく嫌だなぁと思っても、周囲の姉妹との関係が壊れることは、さらなる絶望ですから、そこから抜け出すことは難しい。

 僕の経験を語ります。雑誌では、開拓者の賛美の記事がたくさん書かれます。開拓者になることは、すばらしい生き方です。そういう、ことが頻繁に書かれます。開拓者でない場合は、常に、この記事からプレッシャーを受けます。しかし、開拓者になってみたら、どうでしょうか。

 もうこの記事からプレッシャーを受けません。そして、プレッシャーを受けないということは、心地よく、楽しいのです。そういう人たちが集まると、「奉仕は楽しい」「開拓奉仕はよい」ということになります。

 そして、自覚がないまま、「○○兄弟は、開拓奉仕をなされないんですか」なんて、声をかけてしまうことになります。どうも、すみませんでした。

 この状況を改善するには、少しだけ勇気を持って、ひとこと、言葉をこぼしてみることです。批判ではなくって、ほんの少しの疑問という形で。言葉が出せないなら「うーん」というような感じで、素直に賛成ができないという態度を、少しだけこぼしてみることです。制裁を受けないような、ものすごく小さな表現で。

 それを、できるだけ、たくさんの人が行います。もちろん、制裁を受けない、ものすごく小さな表現が大事です。自分の身は、守る必要があります。そうすると、一人だけが制裁を行ってはじきだすということを、組織はできないわけですから、少しづつ、少しづつ、全体の雰囲気が変わっていくわけです。

 そして、ある人が、違和感を感じ、情報を求め、いくつかの不都合な真実を目にし、それが、全体に少しづつ広がっていくとき、変化が生じます。今は、それが、実際に起こっている最中です。

 実際に、ものみの塔協会は、特権を持つ人たちのリストラを行うことでしか、対応することができなくなっています。ボディブローは、確実にきいているのです。