悔やまれる神

 イスラエルは、神に対して罪を犯しました。そして、そのために、イスラエルには苦難が及びます。自らの罪によって、自らを破滅に向かわせていくイスラエル。エホバは、イスラエルの罪のゆえに、イスラエルを敵の手に渡します。

 そして、神を失ったイスラエルは、力を失い、敵たちの中で敗北していくのでした。そして、彼らは、悲嘆の叫びをあげます。

そして,[神]は彼らの嘆願の叫びを聞くとき,
その苦難をご覧になるのでした。

そして,彼らに関してご自分の契約を思い出し,
その豊かで,大いなる愛ある親切にしたがって悔やまれるのでした。
(詩編 106:44-45)

 そして、そのたびにエホバは、イスラエルに対するご自分の契約を思い出し、愛ある親切によって悔やまれるのです。

 イスラエルが自ら神から離れていったとき、またエホバもイスラエルから離れました。そして、同じように、イスラエルが自ら神に近づくとき、神はイスラエルに近づきます。神の愛は、忠節な愛だからです。

 神は、忠節なものたちのために、自分の忠節な愛を明らかにされます。一方で、反対する心に対しては、その人の望むままにそれを、ほうったままにされます。神は、その心のままに、その人を世に投げ出します。

 神は、人にその道を譲っています。そして、その行いの意固地さによる結果が生じるままにされています。しかし、忠節なものたちのためには、命を残しておかれています。