完全に信じているふりだけをしてきたのならば、完全に離れたほうがよい

 子供時代から、組織についても、神についても、完全に信じているふりだけをしてきたのならば、完全に離れたほうがよいと思います。聖書の神を信じているのであれば、エホバの証人を批判する意味はあるけれど、そうでなければ、徒労に終わるかと思います。

 たとえば、協会への批判的な記事にだけは注目するけれど、神や聖書について書かれた記事については、何の価値も見出さない人がいます。もしそうであれば、批判をするためだけの批判に、終わってしまっているのだと思います。

 親のためだけに、完全に信じるふりをしてきた子供たち。もし自分にその自覚があるのであれば、エホバの証人の世界からは完全に離れて、自分の道を行くのがよいでしょう。

 よい道が見つかれば、過去の記憶は、だんだんと癒されてゆくと思います。

 僕のように、エホバの証人に未練があるのであれば、批判することは、価値があるでしょうけれど、完全に信じているふりだけをしてきたのであれば、エホバの証人に中途半端にかかわるよりは、自分の信じる自分の道を歩んだほうがよいでしょう。

 協会の腐った方針を改善するために、自分の短い人生を無駄にしてはいけない。僕のように未練がある人が続ければよいのである。

 カルト、カルトと叫び続けても、あなたは幸せになれませんよ。それは、自分の心の問題が解決していないということだ。それに、カルトといわれれば、エホバの証人はさらに熱くなる。「自分が攻撃されているのは、自分が真理を擁護しているからだ」と解釈してしまう。その心理を協会は徹底的に利用して、叩き込む。

 イスラム国はカルト、北朝鮮はカルト、エホバの証人はカルトといっても、何の解決ももたらさないし、何の意味もない。レッテル貼りは、解決に対してもっとも役に立たない。偏見を助長し、集団で熱狂し、正確な判断を誤らせるという点で、有害である。安易にカルトという言葉を用いる人が、僕にはオカルティックに見える。