女性がもっとも嫌うこと。それは、「性に汚いこと」と「お金に汚いこと」

 聖書の教えとは離れて、女性たちが、エホバの証人になる前に、エホバの証人に引かれた部分は、どんな部分なのでしょうか。それは、エホバの証人に感じたクリーンさです。

 まず世の中は、性的な面で退廃しています。それに違和感を感じて、エホバの証人の性的な基準に魅力を感じる。そして、お金に関しても完全な自発的な寄付制で、他の宗教のように、会費のようなものがない。すべてが、自発的な寄付だけまかなわれているという、お金のクリーンさに魅力を感じる。

 女性は、男性よりも、道徳的な関心が高い。性的な退廃や金銭的な退廃に、嫌悪感を感じることが多い。それの対極として、性にも、お金にもクリーンなエホバの証人という存在があった。

 しかし、今や協会は、女性がもっとも嫌うことを、どうどうとやるようになってしまった。ひとつは、性的虐待の隠蔽、もうひとつは、執拗に寄付を求めること。このふたつは、ものみの塔協会にとっては致命的だ。

 だって、多くの熱心な姉妹たちは、「性の汚さ」や「お金の汚さ」から、離れることができる場所として、エホバの証人を選んだのですから。今や「性の汚さ」と「お金の汚さ」が前面に押し出されて、姉妹たちは、それが嫌だけれども、一生懸命耐えている。

 女性は、排除されることに耐えられない。自分だけが責められることにはとても耐えられない。だから、「性的な汚さ」や「お金の汚さ」に嫌悪感を感じながら、一生懸命耐えて、組織に従おうとしている。「エホバが正してくださる」と、自分を説得して、耐えている。

 もし全体が、変われて、自分が排除されないのであれば、こんなことは、一刻も早く解決してもらいたいと思っている。姉妹たちは、多くの姉妹たちは狂信的なのではなく、まじめなのである。

 僕は、エホバの証人としてすごしたときにいた、ひとりひとりの姉妹たちの顔を思い浮かべてみます。もし組織の圧力がなく、正直に感想を聞かせてもらえるならば、「性的虐待の隠蔽はよくないと思う」「頻繁な寄付の求めは嫌だ」というと思います。

 それでも、自分ひとりでは、どうすることもできないので、耐えているのです。カルトといって侮蔑するのではなく、この心に目を向けること、それが、必要なことです。

 キリストは、パリサイ人を徹底的に糾弾しましたが、小さきものたちには、優しかったではありませんか。