自分がされたくないと思うことを、人にしてはいけない

 人の立場に身をおいて、自分がもしされたら、どれほど精神的な被害を被るかを考えて、それが、ひどいと思うのであれば、しないのがよい。自分と他人を入れ替えてみて、他人のことを考えてみてほしい。

 多くの人が、女に、石を投げつけようとした。そして、投げつけようとした人たちは、自分の罪については、無自覚だった。自分たちは、正義だと信じて、罪を犯した女に、石を投げつけようとしていたのだ。

そこへ,書士とパリサイ人たちが,姦淫の場で捕らえられたひとりの女を連れて来た。そして,彼女を自分たちの真ん中に立たせてから,彼にこう言った。「師よ,この女は現に姦淫を犯しているところを捕らえられました。モーセは律法の中で,このような女を石打ちにすることをわたしたちに規定しました。あなたはいったい何と言われますか」。もとより彼らは,[イエス]を試して,訴える手がかりを得ようとしてこれを言っていたのである。


しかしイエスは身をかがめ,指で地面に[何か]書きはじめられた。彼らが執ように尋ねると,[イエス]は身をまっすぐに起こして彼らに言われた,「あなた方の中で罪のない人が,彼女に対して最初に石を投げなさい」。そしてもう一度かがんで,地面に[何か]書きつづけておられた。ところが,これを聞いた者たちは,年長者たちから始めて一人ずつ出て行き,やがて彼ひとり,そして彼らの真ん中にいた女だけが残った。


エスは身をまっすぐに起こして彼女に言われた,「女よ,彼らはどこにいるのですか。だれもあなたを罪に定めなかったのですか」。彼女は言った,「だれも,だんな様」。イエスは言われた,「わたしもあなたを罪には定めません。行きなさい。今からは,もう罪を習わしにしてはなりません」。
(ヨハネ 8:3-11)

 諭すとことと、さらし者にすることは、異なるのです。