「忠実で思慮深い奴隷」は、特定のグループではなく、優れた準備をしていた人々のこと
協会の忠実で思慮深い奴隷の解釈
ものみの塔協会は忠実で思慮深い奴隷という言葉を、特定のグループである統治体に当てはめます。
ものみの塔協会は、2013年に「1919年に忠実で思慮深い奴隷が任命された」という以前の解釈を修正して、統治体が、忠実で思慮深い奴隷であると解釈を変更しました。
神が統治体を忠実で思慮深い奴隷として任命しています。
統治体の指示に従うことによって、神に従うことを示すことができます。
統治体に忠節であることによって、神に忠節であることを示すことができます。
こんなふうにいうのです。
忠実で思慮深い奴隷は、キリストが語った比喩のひとつだ
ものみの塔協会は、忠実で思慮深い奴隷は、統治体だといいます。でも、それって聖書には書いてないことですよね。
忠実で思慮深い奴隷は、キリストが語った比喩のひとつにすぎません。特定のグループを指し示すものではないんです。
「主人が,時に応じてその召使いたちに食物を与えさせるため,彼らの上に任命した,忠実で思慮深い奴隷はいったいだれでしょうか。
主人が到着して,そうしているところを見るならば,その奴隷は幸いです。
あなた方に真実に言いますが,[主人]は彼を任命して自分のすべての持ち物をつかさどらせるでしょう。
(マタイ 24:45-47)
時期について考えてみてください。これは、キリストの到来のときのお話です。将来のことです。
これは「キリストの到来に備えて、よく準備しておくように」ということを伝えるたとえ話のなかの一節なんです。
ものみの塔協会は、1914年に、すでにキリストは見えない形で到来している(臨在している)といっています。そして、統治体が、忠実で思慮深い奴隷として、任命されたのだといっているんです。キリストはもう来ていることになっています。
キリストが到来する時期は、人間が知っているようなものなのでしょうか。
その日と時刻についてはだれも知りません。天のみ使いたちも子も[知らず],ただ父だけが[知っておられます]。
(マタイ 24:36)
では、どうして協会に、その日がわかったのでしょうか。キリストの言葉を無視して、違うことを教えているからですよね。