水と霊から生まれなければ,だれも神の王国に入ることはできないのです
ここ数回で、統治体が14万4000人だけに当てはまると解釈する聖句について書いてきましたが、今回も同じ内容です。今回は以下の聖句について取り上げます。
きわめて真実にあなたに言いますが,水と霊から生まれなければ,だれも神の王国に入ることはできないのです。
(新世界訳聖書 ヨハネによる書3章5節)
統治体はこの聖句を14万4000人にだけ当てはまると考え、「霊から生まれる」という言葉を、「天で見えない体を持って復活する」と解釈しています。
けれども、僕は、この聖句もクリスチャンすべてに当てはまると思うので、クリスチャンすべてに当てはまるような解釈の仕方をひとつ紹介したいと思います。
水と霊から生まれる
水から生まれるという言葉で連想できるのは、水のバプテスマです。水の中に体を浸すことは死を意味していて、水から上がることは産まれることを意味していると僕は考えます。具体的には何に対して死んだのでしょうか。それはパウロが論じてくれています。
わたしたちは罪に関しては死んだのですから,どうしてなおもそのうちに生きつづけてよいでしょうか。
(新世界訳聖書 ローマ人への手紙6章4節)
パウロは罪に関しては死んだと論じます。もちろん罪深さは残っていて、小さな罪は日々犯し、大きな罪を犯してしまうことがあるのですが、罪に従って生きることをやめました。つまり、罪に対して奴隷になることをやめました。
さてでは「霊から生まれる」とはなんでしょうか。これもパウロが同じ箇所で論じてくれています。
自分を,罪に関してはまさしく死んだもの,しかし,神に関してはキリスト・イエスによって生きているものとみなしなさい。
(新世界訳聖書 ローマ人への手紙6章11節)
つまり「霊によって生まれる」という言葉には「イエス・キリストの霊によって生きる。イエス・キリストの思いを抱いて生きる」という意味を持たせることができます。
以下のように解釈することで、14万4000人に対して意味をつけなくても、すべてのクリスチャンに対して当てはめることができます。また自然な解釈だと思います。
「水と霊から生まれなければ,だれも神の王国に入ることはできないのです」という聖句「罪に関しては死に、イエス・キリストによって生きなければ、だれも神の王国に入ることはできないのです」ということを意味しているように思える。