新しい契約

 聖書では、モーセの律法は古い契約、イエス・キリストによる契約は新しい契約と呼ばれています。古い契約と新しい契約は何が異なるでしょうか。

 大きな違いは、救いの対象ですね。モーセの律法は、イスラエル人が対象でしたが、新しい契約によって、救いの道が、すべての国民へと開かれました。

 また救いの条件が古い律法の場合は、律法を守ることによりましたが、新しい契約の場合は、信仰によります。イエスの贖いの犠牲を信じることが、救いの条件です。

 では新しい契約は、だれとだれの間に結ばれたものでしょうか。

また,晩さんがすんでから,杯をも同じようにして,こう言われた。「この杯は,わたしの血による新しい契約を表わしています。
(新世界訳聖書 ルカによる書22章20節)

 僕は断言しますが、この契約は、イエス・キリストを仲介者として、クリスチャンと神の間に結ばれた契約です。イエス・キリストが自らの血を流すことによって、契約が発効しました。

クリスチャン - イエス・キリスト - 神

 けれども、統治体はこのようには解釈していません。統治体は、新しい契約というのは、イエス・キリストを仲介者として、14万4000人と神との間に結ばれた契約であると解釈します。その他のクリスチャンは、そのおこぼれにあずかっているというのです。

 またここでも、14万4000人が前面に出てきます。そして、統治体は、自分たちのことを14万4000人だといって、自分の権威を高めます。その他のクリスチャンは「ほかの羊」「大群衆」と呼ばれ、統治体のおこぼれにあずかる者だとされています。

 それで、イエス・キリストの死の記念式では、14万4000人の人だけが、パンを食べ、ぶどう酒を飲み、他のクリスチャンは、それを見るだけという悲しい儀式になっています。

 新しい契約は、すべてのクリスチャンが対象なので、本来は、すべての兄弟・姉妹が、パンを食べ、ぶどう酒を飲む(未成年除く)べきだと思います。権威の持つと主張する少数の人たちが独占するようなものではないと思います。